日本製鉄と「ふたつの大国」――中国抜きのグローバル成長戦略というフロンティア

執筆者:後藤康浩 2024年8月5日
タグ: 中国
エリア: アジア
日鉄が「脱中国」して向かうのはインドと米国という成長市場だ (C)時事
日本製鉄と宝山鋼鉄の合弁事業解消は確かに日系メーカーの苦境を示すが、必ずしもネガティブなニュースではない。鉄鋼業界は高度成長期の生産能力拡大が日米貿易摩擦につながった後、文革後の中国に新たなフロンティアを開拓した。その中国市場で激しい消耗戦が続くいま、摩擦と支援という正反対の環境下でグローバル化を進めた日鉄の「振り子」が再び振れたと見るべきだ。新たなフロンティアにはインドも加わる。「中国メーカーが浸透できない場所」での成長戦略を描く日鉄の判断は、自動車、電子・電機など様々な業界を先導するだろう。

 日本製鉄にとって米国と中国は半世紀以上にわたって最も重要な海外市場であり、同社のグローバル化の主な舞台となってきた。その「ふたつの大国」で、日鉄は歴史的な転換を図ろうとしている。米国におけるUSスチール買収計画であり、中国ではかつて新日本製鐵時代に全面協力して誕生させた宝山鋼鉄との“縁切り”である。

 USスチール買収は米国大統領選の影響もあって政治問題化し膠着状態が続いているが、今年12月までの決着を目指す。宝山については、2004年に宝山と設立した自動車向け冷延及び溶融亜鉛めっき鋼板製造の合弁会社、宝鋼日鉄自動車鋼板(BNA)の持ち株を宝山に売却することが7月に発表された。これにより日鉄の中国における鋼材生産能力は、その7割が削減される。

いまや世界粗鋼生産の過半を占める鉄鋼大国

 1970年代に米国市場での事業拡大を日米貿易摩擦によって封じられた新日鐵は中国に向かい、宝山への協力で中国進出の橋頭堡を築いた。今、中国が一国で世界の鉄鋼生産の過半を握る異常な状況の中で、日鉄の振り子は再び中国から米国に振れた。日鉄が描く「中国抜きのグローバル成長戦略」は自動車、電子・電機など日本の様々な業界を先導するものとなるだろう。

 1950年代初頭、日本の鉄鋼業界は戦後復興の過程にあったが、設備は老朽化し、投資資金も乏しく、日本経済を牽引する力はなかった。同じく復興を目指すトヨタはじめ自動車業界にとって国産鋼材の質の悪さが国産車の品質向上の障害とまで言われるほどだった。その中で、53年に川崎製鉄が無謀といわれた千葉製鉄所を稼働させたことをきっかけに、八幡製鐵、富士製鐵など主要メーカーも連続鋳造設備の導入、高炉の大型化など設備近代化を加速させた。国内で余剰となった鋼材は、人件費高などで競争力を低下させたUSスチール、ベツレヘムスチールなど米国メーカーを狙い撃ちするように米国市場に流入。1960年代末には鉄鋼が繊維に代わる日米貿易摩擦の最大の火種となった。

 一方、76年に文化大革命が終結した中国は疲弊した経済再建のため基礎素材である鉄鋼増産を目指し、八幡、富士が合併して70年に誕生した新日本製鐵に支援を求めた。新日鐵の全面的かつ献身的な支援で中国初の近代的な臨海製鉄所、宝山鋼鉄が操業を開始したのは1985年のことだった。

 摩擦と支援という「ふたつの大国」の正反対の環境の中で新日鐵はグローバル化を進めた

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カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
後藤康浩(ごとうやすひろ) 亜細亜大学都市創造学部教授、元日本経済新聞論説委員・編集委員。 1958年福岡県生まれ。早稲田大政経学部卒、豪ボンド大MBA修了。1984年日経新聞入社。社会部、国際部、バーレーン支局、欧州総局(ロンドン)駐在、東京本社産業部、中国総局(北京)駐在などを経て、産業部編集委員、論説委員、アジア部長、編集委員などを歴任。2016年4月から現職。産業政策、モノづくり、アジア経済、資源エネルギー問題などを専門とし、大学で教鞭を執る傍ら、テレビ東京系列『未来世紀ジパング』などにも出演していた。現在も幅広いメディアで講演や執筆活動を行うほか、企業の社外取締役なども務めている。著書に『アジア都市の成長戦略』(2018年度「岡倉天心記念賞」受賞/慶應義塾大学出版会)、『ネクスト・アジア』(日本経済新聞出版)、『資源・食糧・エネルギーが変える世界』(日本経済新聞出版)、『アジア力』(日本経済新聞出版)、『強い工場』(日経BP)、『勝つ工場』(日本経済新聞出版)などがある。
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