
先日、今年3月の「国家安全条例」施行後、初めて香港を訪問した。この条例は、反政府的な動きを取り締まるため中国で可決され2020年6月に施行された「香港国家安全維持法」を補完するもので、スパイ行為や反乱の扇動、外国勢力による干渉などを犯罪として規定している。そのため、より厳格な取り締まりが行われるのではないか、しかも、香港市民だけでなく外国人も言動が制約されるのではないか、などと懸念されていた。
実際に5月には、反政府活動を扇動したとして元民主派団体幹部ら7人が同条例による初の逮捕者となり、天安門事件のあった日と同じ6月4日にも、4人の逮捕者が出た。ただ、同日警察に連行された日本人1名を含む5人はすぐに釈放されている。その後は逮捕者に関する報道は少なく、国家安全条例が直接的にビジネスの障害となっている事例は確認されていない。そのため現地では、今回の国家安全条例の施行によって、北京政府が最重要課題と位置付ける「国家安全」への対応はひとまず整い、今後は次に取り組むべき課題である経済問題に本腰を入れていくのではないか、という認識も聞かれた。
日本の対中投資は製造業、非製造業ともに激減
このように、香港政府の「国家安全」に関する取り組み姿勢、より正確に言えば、北京政府の香港統治における外国人への対応姿勢は、修正されつつあるように筆者には感じられた。その感覚が正しいとすれば、その背景には何があるのだろうか。第一には、悪化する中国本土の経済情勢が挙げられよう。
中国の経済成長率は、2023年に目標の5%を上回る前年比+5.2%を記録したが、前年の反動という面が大きい。2022年は3月末~5月末に上海で新型コロナウィルスの感染拡大を防止するため大規模なロックダウンが実施された影響で、成長率は3%に落ち込んでいた。そのため、2023年までの2年間の平均成長率は5%を大きく下回る4.1%にとどまっている。今年についても、1~3月期の成長率こそ前年同期比+5.3%へ伸びを高めたものの、4~6月期は+4.7%へ減速、1~6月を通してみれば前年比5%ちょうどであり、5%成長の目標達成に黄信号が灯っている。
こうした成長鈍化に加え、米国との対立激化により先端半導体関連など特定分野における貿易・投資の規制が強化されたこと、経済安全保障という旗印の下、中国をグローバル・サプライチェーンから外す動きが広がり海外から中国への投資が激減していることも、中国経済の悪化に追い打ちをかけている。IMF(国際通貨基金)が集計した中国の対内直接投資は、2022年に前年から45%減少の1902億ドルとなり、翌2023年には更に78%減少し427億ドルまで落ち込んだ。今年に入っても、1~3月期は前年同期からさらに半減しており、対中直接投資の減少傾向には歯止めが掛かっていない。
日本から中国への直接投資も同様の傾向にある。2022年は前年比15%減の1.1兆円となり、2023年にはさらに64%減の約4000億円に落ち込んでいる。2023年の業種別の動きを見ると、全体の約3割を占める輸送用機械(自動車)で半減したほか、化学・医薬品ではほぼゼロ、一般機械は4分の1近くに激減するなど、製造業で幅広く減少した。非製造業でも、最大規模の卸小売で前年から7割も減少しており、日本企業の対中投資マインドは多くの分野で冷え込んでいる。
台湾統一のため「一国二制度」への信頼回復が必要
香港の「国家安全」に関する風向きが変わったもう一つの理由として現地で聞かれたのは、「一国二制度」に対する信頼回復の必要性である。
周知の通り、1997年に香港が英国から返還された際、中国は香港独自の行政・立法システム、通貨の発行、言論の自由など、民主的な要素を含んだ本土と異なる制度を50年間認めるとした。ところが、習近平政権となり、約束されていたはずの行政長官の直接選挙実施が反故にされただけでなく、2020年には中国で前述の「香港国家安全維持法」が施行され、香港における言論の自由が事実上制限されるなど、本土による干渉が強まった。つまり、北京政府は返還後50年を待たずして香港を「一国一制度」へ取り込んでいくかのような動きを見せたわけである。
ところが最近、こうした中国本土の方針に変化の兆しが見られた。8月20日に香港で行われた会合で、中国共産党中央委員会傘下の情報機関である中央統一戦線工作部の石泰峰部長が講演し、香港国家安全維持法と国家安全条例の施行により香港は「新たな発展段階」に入ったとした。さらに、香港に高度の自治を認めた「一国二制度」の実施と発展が国家統一の重要な参考材料となる、とも評した。

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