
強権的な政治手法に対し国際社会から批判の声が高かったロドリゴ・ドゥテルテ大統領のもとで、ミンダナオ和平は意外にも進展をみせることとなった。2018年7月に和平合意が法制化され、翌2019年1月・2月の住民投票を経て、同年3月に新たな「バンサモロ1・ムスリムミンダナオ自治地域(BARMM)」が正式に創設された。また、それにともない、2022年の新自治政府設立まで同地域を統治するバンサモロ暫定自治政府(BTA。以下、暫定政府)が設立された(コロナ禍の影響などで移行プロセスに遅れが生じ、暫定統治期間は2025年6月末までに延長された)。和平の産物として、現在、暫定政府を主導しているのはモロ・イスラーム解放戦線(MILF)である。
だが、その道のりは決して平坦ではなかった。本稿では、ドゥテルテ政権下での和平プロセスの動向とともに、筆者が一実務家として従事した平和構築の現場での地道な支援が思わぬところで新たに展開するという側面を浮かび上がらせる。そのことによって、継ぎ目のない支援の重要な局面で果たした第三者の役割とレバレッジ効果について指摘し、今後の平和構築活動のインプリケーションを引き出す。
1. ドゥテルテ政権下でも続く、平坦ではない和平プロセス2
ドゥテルテ大統領は、選挙キャンペーン中から政権発足に至るまで一貫して「モロに対する歴史的不正義を正す」ことを明言し、就任後間もなく和平政策の基本方針ともいえる「平和と開発のロードマップ」を発表した。それは、①多様な反政府武装勢力3との和平実現、②包摂的アプローチの適用、③和平と開発の並行実施、④和平プロセスの国内化などに特徴づけられる。言い換えれば、モロの既得権者や反政府武装勢力、独立に道を拓くことを懸念するマニラの政治エリートなどの和平妨害者を取り込み、開発事業実施をとおして住民が和平を実感することによって紛争再発を予防し、フィリピン政府主導で国民統合を図るというものである。
ドゥテルテ大統領は、就任当初からフィリピンの国家政治制度を単一制から連邦制に移行し、マニラ主導の政治を地域主権に改編することを最優先課題に位置づけ、2016年12月には改憲草案作成のために憲法諮問委員会を設置した。一方、2014年和平合意を法制化するためのバンサモロ基本法案は、より包摂的な利益代表者を加えて再編された移行委員会のもとで見直されることになった。ここでの同大統領の目論見は、和平合意の中で警察権付与など違憲性の疑いがある条項をいちど除外したうえで基本法を制定し、新自治政府を発足させた後に改憲によって連邦制を導入、新自治政府の下でそれらの条項を復活させるというものだった。
だが、2017年5月23日、状況は新たな問題に直面する。南ラナオ州に位置するマラウィ市で、イスラーム系過激派組織ISIS4(以下、ISIS)に忠誠を誓い、サラフィー・ジハード主義を掲げ、モロ民族解放戦線(MNLF)、MILFから分派した4つ5の過激派組織と国軍の戦闘が発生した(マラウィ市占拠事件)。この事件は、スールー島嶼部を拠点とするアブ・サヤフ・グループの指導者であるイスロニン・ハピロンがISISの新たな行政区を設立するために南ラナオ州を拠点とするマウテ・グループの指導者と面談するとの情報を入手した国軍が、ハピロンの拘束作戦を実行したことを端緒とする。これらの過激派組織が人質を取って市街地の建造物を占拠したことから、国軍は米・豪軍などから支援6を得て掃討作戦を展開した。終結までに5カ月もの時間を要した戦闘の結果、約35万人の国内避難民と1000人以上の犠牲者を出し、「イスラーム・シティ」として美しい景観で知られたマラウィ市は廃墟と化した。
この間、和平合意の法制化をめぐる動きは停滞した。ただ、この事件を契機に、MILF、MNLFと政府の間の信頼醸成(利害調整ともいえる)と、基本法案に対する議員からの支持拡大という想定外の展開もあった。ドゥテルテ大統領はMILFに対して国軍と共同で平和回廊を設置し、民間人の救出活動を行うことを要請したのに対して、MILF側はこれに応じ、両者の停戦合意にも協力した。MNLFも戦闘員を援軍として提供した。ここで、1960年後半に分離独立紛争が開始して以降初めて、「政府-MILF-MNLFの三者が国家安全保障上の脅威に対して共闘する」という新たな歴史的事実が加わった。このことが、ミンダナオ問題に関心が高くない多くの国民にも、MILF、MNLFが国家の脅威ではなく、むしろ国家安全保障上の脅威(=国際テロ)に対する国家の協力者であるという新たな認識を加えた。

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