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日本左翼の「武家体質」?
佐藤誠三郎らによる『文明としてのイエ社会』(1979年)については当時様々な書評が書かれた。なかでも最も興味深いのは関曠野『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房、1987年)であろう。タイトル(『野蛮としての~』)から容易に予想が付くように、関は『文明としてのイエ社会』について、結論としては、極めて否定的なスタンスを取っている。ただし、その歴史叙述の部分、とりわけ経営体としての「イエ」が日本史の主役であるという中核的な論旨についてはほぼ無条件にその正しさを認めてみせる。戦闘集団としての武士において発達した「イエ」型組織原理が、江戸期を通じて日本社会に全面的に浸透してその支配的な原理となり、特に西洋化が進んだ明治期以降は家族よりもむしろ会社・企業にその「イエ」型組織原理が強く残った。そしてこれこそがまさに日本の資本主義が成功した秘訣だというのである。
だが、かかる「経団連史観」(75頁)は、その理論的正しさゆえに、むしろ精確に現代日本の「野蛮さ」を指し示していると関は考える。つまり、事実認識については佐藤らに同意しつつ、その規範的評価が「文明」から「野蛮」へと180度転換しているのである。関がこのように考えるのは、関が明確に左派を自認し、フェミニズムとエコロジーという規範的観点から「イエ社会」を眺めるからである。経営体としての「イエ」は私的財産の集積単位としては極めて優秀だった反面、「ウジ」社会に比べて女性の地位を引き下げ抑圧する側面を有していた。また、「イエ」同士の競争を是認する点で競争的な市場社会に適合的な反面で、資源の有限性の制約という発想にはなじみが薄かった。佐藤らにこうした視点が欠如していることを批判する関は、「イエ」的組織原理に乗っ取られる以前の「ムラとマチの伝統の強力な再生」(82頁)を主張する。その意味で「歴史をやり直す」(87頁)ことが求められるというのである。

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