経済の頭で考えたこと (33)

バーナンキが火を点けた中東の大激動

執筆者:田中直毅 2011年3月4日
エリア: 中東 北米

 春秋の筆法を借りれば、ベン・バーナンキFRB(米連邦準備制度理事会)議長によるQE2(第2弾の量的緩和)が、29年間も政権の座にあったエジプトのムバラク大統領を追放したことになる。アラブ諸国を次々と襲った政権変動は、都市の労働者の生活困窮がもたらしたものだ。経済の因果連鎖が一国内で完結する「閉鎖経済」を前提とした金融政策の手法が、世界の政治変動に結びついた最初の事例として、2010年から2011年にかけての米国の荒っぽい金融緩和策が今後言及されることになろう。
 2010年を振り返ると年初は米国経済の順調な回復への期待が高まったときであった。家計も企業も債務過多だから回復への軌道は描きにくいという見方も有力だったなかで、思いの外よい材料が出た。そこでFRBは「出口戦略」を探る時期に入った。インフレ・ファイターが職業的役割である中央銀行から見ると、金融緩和の長期化がもたらす不均衡要因の膨張の芽を摘む必要が出たというわけだ。
 もちろん他方では傷んだバランス・シートが残ったままでは、経済情勢の好転は期しがたく、よい材料にみえたものも、すぐ消えることが多いという見方もあった。その論拠として1990年代の日本経済が引照基準とされることが多かった。長期間にわたって景気の本格的回復が阻まれる「日本化(ジャパナイゼーション)」は回避できるのか、という議論である。そしてこの2010年の夏になると、一旦は下落が止まったかにみえた米国の住宅資産価格に、依然として調整圧力が及んでいることが確認される。楽観論は吹き飛んだ。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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