「晴ーれた空、そーよぐ風」ラジオの唄は夏空のように朗らかだが、ハワイに行ける戦後日本人はその頃まだゼロに等しかった。
生きて終戦を迎えたのさえ見付けもので、アメリカなんぞへ行こうとしてもカネがない、厳しい規則ずくめ。ビザを取る前に1人ずつ赤坂の米大使館別館(旧満鉄ビル)に出頭し、米人領事の面接テストを受けねばならなかった。
数少ない合格者であった三島由紀夫は「貴君は作家だそうだがスクールは?」と問われて戸惑った。
向こうは硯友社、自然主義などの流派、結社を尋ねたのを、スクールならと勘違いし「東京インペリアル・ユニバーシティ」と答え、それでも査証が出たという。
私が米大使館に行ったのは昭和35(1960)年、今や伝説的になった60年安保の年である。まず天文学的競争率の筆記試験がある。
難関に挑む私は30歳。支局勤務を終え、大阪社会部で最も下っ端のサツ回り。溜り場は、これも大阪では伝説的になった動物園記者クラブであった。動物園事務所の裏手にあるボロ小屋のこと。
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