統計数字も「忖度」好調過ぎる「現金給与」のからくり

執筆者:磯山友幸 2018年11月5日
エリア: 日本
「厚生労働省」HPより。果たして数字に忖度はあったのか……
 

 霞が関が発表する「経済統計」にまで「忖度」が働いているのではないか――。エコノミストや経済記者の間でそんな「疑念」が広がっている。

実態より大幅に上ブレ

 焦点になっているのは、厚生労働省が毎月発表している「毎月勤労統計調査」。全国約3万3000の事業所から賃金や労働時間などのデータを取得、統計としてまとめている。最も代表的な賃金関連の統計だ。

 その「毎月勤労統計調査」の「現金給与総額」の対前年同月比増加率が、統計手法の見直しの結果、実態より大幅に上ブレしているというのだ。今年に入って調査対象となる事業所群を新たな手法で入れ替え、調査対象の半数弱が入れ替わったにもかかわらず、補正調整も行っていない。統計では、現金給与総額の伸びは5月は2.1%増、6月は3.3%増と高い伸びを示しており、安倍晋三首相が言い続けてきた「経済好循環」による賃金上昇がいよいよ本格的に始まったか、という期待を持たせた。

 現金給与総額に着目してきたエコノミストの間から、6月の3.3%増という高い伸びについて疑問視する声が上がり、実際には、統計手法の見直しの影響が大きいことが明らかになった。厚生労働省が「継続標本」による前年同月比の動きとして公表したデータの、入れ替えた事業所以外の共通のサンプルで比較した「参考値」では、5月は0.3%増、6月は1.3%増だったのだ。

 9月になって『西日本新聞』が、「統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 専門家からは批判も」という記事を掲載。「景気の重要な判断材料となる統計の誤差は、デフレ脱却を目指す安倍政権の景気判断の甘さにつながる恐れがある。専門家からは批判が出ており、統計の妥当性が問われそうだ」と厳しく批判した。

3選を目指していたタイミング

 ここで浮上したのが、統計手法の見直しに厚生労働省の安倍政権に対する「忖度」が働いていたのではないか、という疑惑。安倍首相は「経済好循環」を掲げ、賃上げを経済界に求めてきた。折しも今年の春闘ではベースアップと共に、「3%の賃上げ」を安倍首相自身が求める発言を繰り返してきた。

 6月分の速報を厚生労働省が発表したのは、8月7日。ちょうど自民党総裁選に向け、候補者の動向などが注目されていた時期だ。速報では、3.6%増とさらに高い伸びが発表されていた。

「名目賃金6月3.6%増、伸び率は21年ぶり高水準」(日本経済新聞)、「6月の名目賃金3.6%増 21年ぶりの高い伸び率」(朝日新聞)、「6月の給与総額、21年ぶり高水準 消費回復の兆しも」(産経新聞)――。

 新聞各社は厚生労働省の統計をこう一斉に報道した。今になって厚労省は「継続標本」での比較を出していたと抗弁するが、報道各社はそんな注記には一切気が付かず、表面上の統計数字を報じていた。記者たちからすれば、まんまとハメられたわけである。

 安倍首相が自民党総裁選での3選を目指していたちょうど良いタイミングで、首相が言っていた「3%」を上回る給与増が「実現」した、というニュースが流れることになったのだ。

 もちろん、厚生労働省は、統計に忖度などありえない、とする立場だ。だが、西日本新聞は9月末の記事で、もともとこの統計手法の見直しが、麻生太郎副総理兼財務相の発言を機に行われた、という見方を示した。

 同紙の記事によると、「サンプルの入れ替え時に変動がある。改善策を早急に検討してほしい」と麻生氏が、2015年10月16日に首相官邸で行われた経済財政諮問会議の席上で問題提起した。

「同統計はもともと、調査対象となる比較的大きな事業所について3年ごとにサンプルを総入れ替えし、入れ替えに伴う誤差を補正して数字をはじいてきた。このため2015年1月の入れ替えでも、過去にさかのぼって実績値を補正。ところがこの結果、安倍政権が発足した12年12月以降の数字が下振れしてしまった」

 これに麻生氏が噛み付いたのだ。結果、厚生労働省は、数字が変動する事後的な補正を避けるため、サンプルは総入れ替えでなく段階的な部分入れ替えとする、という方針を立て、2017年に政府の統計委員会が承認、2018年から実施された。

 そうした「経緯」を示した上で西日本新聞は、「統計データで賃金上昇をアピールしたい安倍晋三政権の意向を官僚組織が忖度(そんたく)したのではないか――。厚労省は否定するが、経済統計をウオッチするエコノミストからは、そんな疑いの声も漏れる」と指摘している。

「数字は作るもの」

 厚生労働省には“前科”がある。今年2月に発覚した裁量労働制を巡る統計データの不備だ。1月29日、安倍首相は国会答弁で、「平均的な方で比べれば一般労働者より(労働時間が)短いというデータもある」と答えた。ところが、その後の予算委員会で野党からデータがおかしいという指摘が相次ぎ、安倍首相自ら判断し、2月14日になって発言の撤回と謝罪を行った。

 本来は比較できない2つの統計を比較した資料を厚生労働省が作成、首相に説明していたのが原因だった。結局、政府は働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大を外さざるを得なくなる痛恨事となった。

 厚生労働省は7月になって、蒲原基道事務次官と宮野甚一厚生労働審議官を訓告、担当局長の山越敬一労働基準局長を戒告とする処分を行ったが、同日発表した監察チームの報告では、原因を「職員の確認不足」などとしている。

 だが、問題の本質は、霞が関官僚の「統計」を軽視する姿勢にあるのは間違いない。霞が関には伝統的に、「数字は作るもの」という意識がある。自分たちがやりたい政策を実行するために都合の良い「数字」を取り上げ、都合の悪い数字は無視するという傾向が強くある。統計のための調査を、政策を実施する官庁が行っているケースが少なくないため、自分たちの政策実行に都合の良い統計を取るということが頻繁に行われている。

 もちろん、統計を専門とする総務省統計局という部局もあるが、政策実施官庁が自ら行っている統計は膨大に存在する。

 そんな霞が関の意識が、極度に脱線して発生したのが財務省の公文書改ざん問題だろう。理財局長が自らの国会答弁の整合性を保つために公文書を書き換えるという前代未聞の不祥事だったが、本人の保身だけでなく、政権への忖度があったことは明らかだ。

 結局、官僚たちが「考えられない」と口を揃える不祥事だったにもかかわらず、刑事責任を問われることはなく、退職金も支払われた。辻褄合わせや忖度のために「記録」や「統計」をねじ曲げる行為は、本来、厳しく断罪されるべきものだ。

見極めることが重要

 賃金の趨勢は、今、最も注目すべき統計データと言える。今後の経済政策を打つに当たって、その前提になるというのは言うまでもないことだ。そのデータが歪んでいたら、政策を大きく誤ることになる。統計は、正しく実態を知るための数少ないツールだ。体温計が壊れていたら、医者も正しい診断は下すことができない。

 いくら実態よりも良く見せて国民を結果的に欺いても、いずれそれはバレる日が来る。良い数字をアピールすれば、人々のマインドが変わると考えている政治家や官僚がいるとすれば、いつかそのしっぺ返しを食らうことになるだろう。

 内閣府は、厚生労働省の毎月勤労統計調査をもとに算出している「雇用者報酬」の実績値を修正する方針を固めたと報じられた。11月14日に公表する予定だといい、今年1‐3月の名目ベースの雇用者報酬増加率を、これまで発表していた3.1%から2.7%程度に、4‐6月期を4.1%から3.4%程度に引き下げる見込みだという。果たして、好調な企業収益は働き手に還元され、給与が着実に増える流れにあるのかどうか。今後の「正確な」統計を見極めていくことが重要になる。

 

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執筆者プロフィール
磯山友幸 1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。
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