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明治38(1905)年に、あと取りとして義江を自分の養子にまでした水野松次郎だったが、妻が「義江とは暮らせない。私が出て行く」と怒り心頭に言えば、義江を出すという選択肢しか考えられなかった。
水野は自分を責めながら考えた。
「これが血のつながった親子だったら、どうなのか。義江が手を付けられない子供だとしても、出ていけという決断にはならないのではないか」
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