
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)
総裁公選で初めての信任を経て佐藤再々改造内閣を発足したが、野党の審議拒否が続き「黒い霧」のウミも出しきれていないと踏んだのか、年も押しせまった昭和41(1966)年12月27日に衆議院を解散した。
この解散は「黒い霧解散」と呼ばれ、勝敗は党の命運を分けるものとなる。
全国遊説となれば顔が売れている、参議院議員のあきの出番が当然期待される。
派閥の長の藤山事務所からも依頼があり、この日はどこどこに行ってほしいなどと遊説のお願いをされる。

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