「北戴河」直後、習近平と李克強が訪ねた土地の暗示

執筆者:宮本雄二 2022年8月24日
タグ: 中国 習近平
エリア: アジア
北戴河駅ではボランティアを名乗る男性たちがメディア関係者を制止する光景が見られた[8月4日](C)時事
北戴河の集い直後の視察で、習近平は国共内戦の大逆転を記念する「遼瀋戦役記念館」を訪ね、李克強は改革開放の聖地・深圳で鄧小平の銅像に献花した。秋の党大会を控えた指導部内のコンセンサス作りは決着しなかった可能性が高い。政治重視の習近平グループと経済重視の李克強グループの相克に、経済の盛り返しが見てとれそうだ。

 中国共産党は、実質、政治局常務委員会が牛耳っている。習近平以下、7名の常務委員がいるが、8月1日から15日まで彼ら全員が中国の公式報道から姿を消した。そこで世界のチャイナ・ウオッチャーたちは、彼らが避暑地として有名な河北省秦皇島市の北戴河に向かい、何らかの集まりに参加し、それが15日までに終了したと推測した。

   確かに中国の指導者たちが北戴河に来て避暑をする習慣は変わっていない。しかも北戴河には現役を離れた長老たちも来る。近くにいれば顔を合わせる。なじみの顔に出会えばついつい話し込む。正式の会議が開かれなくても意思疎通ははかれるし、コンセンサスに至らなくとも党指導部の流れはできる。北戴河は、そういう場所として利用されてきた。

 筆者も、1980年代の初め、他に娯楽というものがあまりなかった北京勤務のときに、家族連れで大使館が借り上げた北戴河の別荘でもう1組の家族と数日過ごした経験がある。すぐ近くに海辺があり、子供たちが大喜びしたのを覚えている。木立の中にある別荘はそれぞれ独立しているが、お互いに行き来することはできる。われわれの地区から要人地区に行くことは難しかったが、要人地区では要人たちが散歩のついでに訪れたり、親しい家族同士で食事を共にしたりしていたことだろう。

   90年代の終わりの2回目の勤務のときは、もうわれわれへの貸し出しは中止されていた。

コンセンサス作りの3つのポイント

 今年の北戴河の集いが特に重視されたのは、今秋の党大会に向けての指導部内のコンセンサスづくりが容易ではないと推測されているからだ。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
宮本雄二(みやもとゆうじ) 宮本アジア研究所代表、元駐中国特命全権大使。1946年福岡県生まれ。69年京都大学法学部卒業後、外務省入省。78年国際連合日本政府代表部一等書記官、81年在中華人民共和国日本国大使館一等書記官、83年欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官、85年国際連合局軍縮課長、87年大臣官房外務大臣秘書官。89 年情報調査局企画課長、90年アジア局中国課長、91年英国国際戦略問題研究所(IISS)研究員、92年外務省研修所副所長、94年在アトランタ日本国総領事館総領事。97年在中華人民共和国日本国大使館特命全権公使、2001年軍備管理・科学審議官(大使)、02年在ミャンマー連邦日本国大使館特命全権大使、04年特命全権大使(沖縄担当)、2006年在中華人民共和国日本国大使館特命全権大使。2010年退官。現在、宮本アジア研究所代表、日本アジア共同体文化協力機構(JACCCO)理事長、日中友好会館会長代行。著書に『これから、中国とどう付き合うか』『激変ミャンマーを読み解く』『習近平の中国』『強硬外交を反省する中国』『日中の失敗の本質 新時代の中国との付き合い方』『2035年の中国―習近平路線は生き残るか―』などがある。
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