中国人観光客を待ちわびる台湾海峡の最前線「金門島」

執筆者:広橋賢蔵 2023年1月3日
エリア: アジア
中華民国の主権の象徴とされてきた金門島 ©広橋賢蔵
2022年、世界に衝撃を与えたウクライナ戦争の勃発とともに、台湾有事の可能性をめぐる議論が沸騰した。中台両岸の思惑に関する分析や、実際に有事が起きた時のシミュレーションは数あるが、“最前線”に住む人々はいったい何を考えているのだろうか。中国大陸の福建省廈門から目と鼻の先にある台湾領の島、金門島へ飛んだ。

 

最前線の要塞から「台湾経済のショーケース」へ

 台北・松山空港から金門空港まで1時間足らずのフライト。台湾海峡はこんなに狭いのかと改めて感じる。行政区分としては中華民国福建省金門県とされているが、福建省の中で中華民国(台湾)が統治しているのは金門県のみである。人口は約14万人。空港から、県の中枢である金城の街へ向かう。街の中心に鎮座するのは蒋介石像。台湾本島ではすでに見られない光景だ。台座には「民族救星」と刻まれている。

台湾本土ではもう見かけない光景だ ©広橋賢蔵

 たしかに、金門島を共産党の統治から守ったという意味では、「救い主」には違いない。1949年に中国大陸から撤退を続けていた国民党は、台湾本島の他、台湾海峡に面する澎湖島、金門島、馬祖列島を辛うじて防衛し、現在まで主権を守り続けている。

 特に金門島は1949年10月に中共からの総攻撃を受けたが、それを撃退したことで中華民国の主権の象徴的な地となった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は台湾海峡防衛のために第7艦隊を派遣。それにともなって金門島も要塞化され、国民党軍は10万人もの兵力をこの島に注入することになる。

 そして1958年にも中共側からの大攻撃を受けるが、やはり迎撃。島内には当時の勝利を記念するモニュメントや資料館が残され、現在では観光地化されている。

 台湾本島の民主化が進み、1992年に金門島でも戒厳令が解かれた後は、駐留する兵士は徐々に減少していった。それに反して増えていったのが、台湾本島および中国大陸からの訪問者だった。台湾各地から金門への航空路線が整備されるのと同時に、廈門-金門間で船の往来が開始された。それは中国と台湾の間で通商、通航、通郵を認める「三通」に対し「小三通」と呼ばれ、島と大陸との交流を促した。

 台湾からは中国ビジネスに向かう人々が中継地として利用し、中国からの人々は観光に訪れる。平和な時代が到来し、金門島は福建省の人々が気軽に行ける「出島」というべき、豊かな台湾の物資を得るショーケース化していくのだ。

中国人観光客を待ち望む人々

 今回、金門島を訪れた12月中旬の時点では、コロナ禍のため両岸の渡航が停止されており、中国人観光客を見ることはなかった(※12月22日、春節期間限定で金門島民が中国本土に渡る船舶の航行が試験的に再開されることが報じられた)が、県の観光処の統計では、コロナ前の中国人来訪者は年間で延べ50万人前後と、台湾人の来訪者数を凌駕していた。 

 島の人々が期待しているのは、その購買力だ。金門の特産品は高粱酒や、人民解放軍が島内に撃ち込んだ無数の砲弾から鍛造された包丁など。中国人観光客は免税で購入できるとあって、それらの特産品の売上は半端ではないらしい。島内最大規模を誇る免税デパートでも、コロナ前はブランド品を買う中国人で埋まっていたという。中国人は日本や韓国だけではなく、こんな辺境の島にも爆買い観光団を送り続けてきたわけだ。

砲弾から作られた包丁を売る店 ©広橋賢蔵

 

金門には日本のドラッグストアも進出 ©広橋賢蔵

 観光処の中国担当係長によれば「島内を歩くとドラッグストアが多いのに気付くでしょう。中国人観光客は、中国本土で手に入りにくい台湾製の常備薬やサプリなどを大量に購入していきます。フェイスパックなども売れ筋でした」とのこと。たしかに、島の商店街で最も大きな店舗はたいていドラッグストアだった。免税店内にも日本発の「サツドラ」(サッポロドラッグストアー)がテナントに入っていた。2018年に台湾進出を果たしたマツモトキヨシも、金門島への出店を真っ先に検討すべきだったのではないか、と思うほどだ(実際は、台北に1号店を出店している)。

 厦門-金門をつなぐ定期便が再開するまで、しばらくは閑古鳥が鳴く状態が続くだろう。それでも土産店を開く地元の人々は、私のような冷やかし半分の観光客には見向きもせず、爆買いする中国人民たちを待ちわび、彼らの財布に目を輝かせているのだ。

中国側から流れ出た水を飲みはじめた

 金門の人々は現金をふんだんに落とす中国人客に今後も大いなる期待をかけるわけだが、もうひとつ中国側に期待しているのが、島内へのライフラインの供給である。

 すでに始まっていたのは水の供給。地下水を頼りにしていた島内の水源は常に渇水状態で、地下水を汲み上げ過ぎると、地下水に海水が混じる塩化被害が起こる心配もあった。かといって海水の淡水化はコストがかかりすぎる。

 そこで浮上したのが、中国から水資源を供給してもらうという計画だった。そして実際に福建省泉州市側のダムから、約16キロの距離を海底パイプラインでつなぎ、2018年から金門東岸の田埔ダムへ水が供給されはじめていた。

中国大陸の泉州からパイプラインで水を引いている ©広橋賢蔵

 

「両岸共飲一江水」 ©広橋賢蔵

 田埔ダムに行ってみると「両岸共飲一江水」の石碑を見つけた。「両岸で同じ川の水を飲む(間柄になった)」とのスローガンは、金門島に住む人々が中国大陸へ抱く親近感を象徴しているように思われた。石碑の近くには、海底パイプラインの一部が誇らしげに飾られている。水が引けるなら、電気や天然ガスを引くことも可能なはずだ。台湾本島から約200キロ、その距離は飛行機ならばひと飛びでも、本島と一体での社会インフラ維持には壁となる。この島に暮らす人々は、中国側がエネルギー資源を提供してくれるなら喜んで購入するかもしれない。

 

金門大橋から廈門のビル群を仰ぐ

 金門島観光の見どころのひとつに、対岸の海岸線を仰ぐ、というものがある。島の東側からは遠目に泉州が見えるし、やはり台湾領の小金門島(烈嶼島)という西隣の小島にいけば、眼前に厦門のビル群を望むことができる。金門島(大金門島とも呼ばれる)から小金門島へは、かつては小船で渡っていたが、2022年10月30日には新たに橋が開通した。人口わずか1万数千人の小金門の島民のため、というには、正直に言って立派すぎる大橋だった。

橋の上から廈門の街並みが見える ©広橋賢蔵

 

 全長5.4キロの通行無料の橋を、大金門島側から渡ってみると、中間あたりで、対岸にくっきりと廈門貿易センターを含む高層ビル群が現れた。牧歌的な此岸に比べ、急成長する彼岸との経済的格差に圧倒される。橋の完成によって、廈門までの距離は海路でわずか8キロにまで短縮された。包丁職人で60代の呉さんは、

 「今も金門から廈門までは定期船でもたったの30分で着く。とても便利なので我々島民もよく利用している。あちらに不動産を買って持っている島民も多いし、ビジネスなどの交流は広範囲に渡っている。

 30年前の廈門はこれほど発展していなかった。戦時体制下では、高い建物は標的になるから、両岸とも建てないようにしていたからね。2000年代に入ってから、あれよあれよという間にビルが林立した。かつては対岸にこちらの発展具合を見せつけるため、海岸線にハリボテのビルを作ったこともあったから、最初は“あちらも我々と同じことをやっているんだろう”くらいに思っていたよ」

 そう笑いながら話していたが、すでにその差は比べるべくもない。この調子なら、いずれ小金門と廈門を繋げる橋も建設されるのではないかと思われた。

両岸の差は歴然 ©広橋賢蔵

金門県選出議員の苛立ち

 「廈門側からはいつ橋を作っても構わない、とメッセージを送ってきています。ただ現与党の民進党が渋っているので、遅々として進まない」

 そう苛立ち混じりに話すのは、金門県選出の立法委員(国会議員に当たる)の陳玉珍女史(49)。国民党所属で、生まれも育ちも金門島。戦時体制だった1980年代には島民が組織する自衛団が残っていて、高校時代は女子でも軍事教練を受けたものだ、と語る。

 「金門島民は一刻も早い小三通の再開を求めているのに、民進党はなかなか定期船の往来を開放してくれない。それなら、“代わりに台湾本島からもっと金門観光に来てくれ”と要求したいくらいです」

「小三通」の再開を待ちわびる地元選出の陳議員 ©広橋賢蔵

 

 立法院の定数は113で、金門選挙区の枠は1議席。有権者の人数はデータ上では約12万人とされているものの、実態としては、住民票だけ島に置き台湾本島で暮らしている人が非常に多い。島に常時居住するのは5万人ほどと言われ、選挙のためだけに帰郷する人も少ないため、2万票も獲得すれば当選できるらしい。実際、2020年立法委員選挙における陳議員の得票数は2万1875票だ。ちなみに民進党は金門県ではまったく信用されておらず、候補者の擁立すらしていない。

 彼女は中国側とのパイプも太いのか、台湾本土の政治家と違い、大陸ともっと積極的に交流を深めるべきだということを、何の躊躇もなく声高に主張する。陳議員に、台湾有事の勃発を憂慮していないのか尋ねてみた。

 「今は30年前より軍備も大きく進化していて、ミサイルが私たち金門島民の頭上をかすめて台湾本島まで余裕で届く時代です。金門と廈門の間に橋がかかったとしても、人民解放軍がそこを渡ってくるなんてことはないと思っている。戦闘機で台湾本土に向かったほうが早く着くのですから」

 そう一笑に付すのだった。

「武力行使なんて愚かな選択」

 陳議員が続ける。

 「だから我々は、丸腰でも何も怖いことはありません。元々、金門人は中国大陸にルーツがあり、大陸と往来してきた長い歴史がありますから。観光客を誘致し、経済を潤わせたい。インフラも中国側が整備してくれるというなら、享受するまでです。ウクライナとロシアのように武力で物事を解決しようというのは愚かな選択。中台問題は華人同士の知恵で、必ず話し合いで解決できる。少なくとも金門と福建省は平和裡に物事を進めます」

 中台危機が世界中で叫ばれている中、彼女の言葉はあまりにも楽観的に聞こえるかもしれない。だが少なくとも、私が今回滞在した4日間で出会った金門の人々は、予想以上に大陸との交流に前向きだった。

 金門島を描いたドラマのロケに使われたセットのある観光地で、雑貨店を営んでいる50代の盧さん。船を一艘持っていて、両岸を結ぶ定期船が就航する前は、こっそり廈門まで船を出し、人を運んだこともあるという。

 「人民解放軍がやってきて国民党軍を追い払い、“金門を解放する”と言ったら従いますか?」

 と尋ねてみると、事もなげにこう答えた。

 「もちろん。私たちの土地をきちんと治めてくれるなら、台湾でも中国でもいい。今は民進党も国民党もダメ。中国本土のほうが景気もいいからね。それで金門島の経済が潤ってくれるなら、大歓迎だね」

 市場で麺を売っていた20代の夫婦にも同じ質問をしてみた。夫は金門島に生まれ、台湾本島の大学を卒業後、島に戻って4カ月間の兵役に就いた。兵役後も島に留まり、実母が営む飲食店を手伝っている。

 「中共がここを占領したら? その時の政治状況を考えて最善の選択を考えればいいさ」

 台湾本島の彰化県出身の妻も、「台湾に戻るかどうかは分からない。まずは夫の判断に従うわ」とのこと。

 島民たちは基本的に温和で、心に余裕を持っているように見えた。一方で、いざ危機となれば生き抜くために最善の行動を取ろうという強かさも感じさせる。それは、台湾本島の人々と違って、冷戦期に本物の戦火を潜り抜けてきた経験の賜物だろうか。台湾人はよく、オランダや日本、国民党など外来政権に統治され続けた「台湾の悲哀」を語る。だが金門島も元々は台湾に属しておらず、戦前から中華民国に属し、戦時中は日本軍に一時的に占領された。そして戦後は中台対立の最前線で時代に翻弄され続けてきたのだ。そうした「金門の悲哀」が、島の人々の精神を強靭なものにしているのかもしれない。

 

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執筆者プロフィール
広橋賢蔵 台湾在住ライター。台湾観光案内ブログ『歩く台北』編集者。近著に『台湾の秘湯迷走旅』(共著、双葉文庫)など。
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