「伝統文化」のサプライチェーンを考える――宮島しゃもじからウクライナの卒塔婆まで

執筆者:徳永勇樹 2023年9月27日
エリア: アジア その他
日本の若者を代表してG7広島サミットに参加した筆者が、グローバル経済と伝統文化の関係について考える (C)Ailisa/Shutterstock.com
コロナ禍やロシア・ウクライナ戦争をきっかけに、グローバルなサプライチェーンの見直しが進んでいる。そこでは経済合理性の追求と国家安全保障のせめぎ合いが生じるが、一見するとドメスティックな伝統工芸品も、根底にはこれと通じる問題を抱えている。

 2023年5月、広島県で開催されたG7サミットはまだ記憶に新しい。日本は広島サミットの議長国として、また、唯一の戦争被爆国として、G7加盟国に加え韓国やインド等8つの招待国と7つの国際機関を招いた。直前まで調整が続いたウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領のゲスト参加も実現するなど、サミットの主催は日本政府にとって大きな成果となった。

 筆者はG7の公式エンゲージメントグループであるY7(Youth7)に2016年以来参画し、39歳以下の若者の視点から政府への政策提言に関わっている。今年も運営メンバーの一員として、東京と広島で開催されたY7サミットの運営に関わった。私の祖父が長崎で原爆を体験したこともあり、被爆地開催のサミットには特別の思いがあった。が、今回はサミットの話についてはここまで。本稿の主題に移るにはサミット開催の数カ月前に遡る。

 23年3月21日、岸田文雄首相がウクライナを電撃訪問した。憲法上の制約で武器の支援を行えない日本としてウクライナにどのような支援を行うかが注目される中、キーウ入りした岸田首相が持参したのは、地元広島県宮島の特産品であるしゃもじだった。しゃもじは、「飯を取る」から、「(相手を)めしとる」という意味の縁起物とされ、広島代表の甲子園球児への応援には不可欠なものだが、日本から遠く離れたウクライナ人、しかも、生きるか死ぬかの戦いをしている相手に、文脈の伝わりづらい品物を贈る行為については、日本国内で賛否両論があった(現地では概ね好意的に受け止められたようだが)。

 筆者は会社勤務の傍ら、CulpediaというNGO団体を立ち上げ、日本の工芸の調査をライフワークに活動をしている。最近は主に京都の伝統工芸品に関心を寄せており、京都市が指定する74品目を作る職人や組合を一軒一軒訪ね歩いている。そうした経緯もあり、この報道を見た時に宮島のしゃもじに関心を持ち、すぐにインターネットで広島県のHPを調べてみた。

消えゆく職人、道具、原材料

 日本の伝統工芸品は、経済産業省が指定するもの(国指定伝統的工芸品/全国に240種類)と、都道府県や市町村等の地方自治体が指定するもの(自治体指定伝統工芸品)に分かれている。広島県の場合、しゃもじ(宮島細工)を含む国指定工芸品5品目、県指定工芸品7品目の計12品目が登録されている。他にも、指定から外れてはいるが、国内生産の9割を占める針など、広島には長く豊かな歴史を感じさせる工芸が残る。

 ところが、他の関連ページを閲覧していると、広島県が指定する伝統工芸品は9品目、との記載が何度か登場することに気づいた。7品目か、9品目か、どちらが正しいのか。県HPに戻って詳細を確認したところ、広島県指定工芸のうち、かもじと打刃物の2品目が指定解除となっていた。理由が気になり広島県庁に連絡をしてみると、後継者不足により職人がいなくなり作れなくなったという。華々しい国際会議の足元で、何百年単位で続いた地域文化が徐々に失われつつある現状に改めて気づかされた。

 こうした状況は広島県に限らず日本全国で起きている。私がフィールドワークを行う京都でも同様で、多くの伝統工芸は (1)職人、(2)原材料、(3)道具、において課題を抱える。(1)職人は、まさに広島の消えた2品目が典型だが、近年、伝統工芸の世界で跡継ぎがいなくなり、職人の数が著しく減っている。一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会の統計情報によれば、日本全体の伝統工芸従事者数は1979年をピークに2015年時点で5分の1あまりに減少している。最新の統計はないものの、新型コロナウイルス禍やロシアによるウクライナ侵攻に関連する物価高により、減少傾向はより強まっているだろう。

(2)原材料は、工芸品を作る為に必要な材料を指す。例えば、日本人形の顔に白塗りする胡粉、和蝋燭に使用する櫨(はぜ)の実、かつらに使用する人毛等、調達が難しくなっている素材は近年大きく増加している。また、金属や木材は、材料そのものはあるが近年の価格高騰により調達しづらい素材も多い。

 実は日本の墓地で見られる卒塔婆は、ウクライナ産の木を使用する場合が多いという。国内シェア5%を占める山梨県の解氏工芸貿易は、卒塔婆用の材木のうち60%をウクライナから輸入していたと報道されている。ウクライナ産は低価格でありながら高品質の物が多いらしく、筆者も京都の仏具屋さんから材木屋さんの話を又聞きしたところ、ロシアによるウクライナ侵攻以降、卒塔婆用の木が全く流通しなくなり価格が急騰しため、急遽日本産の木材への切り替えが進んでいるとのこと。卒塔婆のような伝統宗教にまつわるものにさえ、グローバル化の波が及んでいたわけである。

 あまり注目されないが(3)道具の不足という側面もある。伝統工芸の職人は一社あたり数人でものづくりをしているため、使用する小刀や筆等も数本単位で注文することが多い。しかし、小ロット(少ない量)では注文を断られ、仕方なく自分で作ったり、師匠や同僚から分けてもらった道具を大事に使う人も少なくない。筆者も取材の中で、1本の小刀を何十年も大事に使っている、という職人さんに何度も出会った。また、50年以上前の機械を使用しているが、機械メーカーがなくなってしまい、今動いているものが止まってしまうと継続不可能になる、というケースもよく耳にする。

 では、なぜこうした3つの問題が起きてしまうのか。読者の方々もお察しの通り、儲かっていないからだ。先に引用した伝統的工芸品産業振興協会の統計情報によれば、生産額もまた1983年をピークに約5分の1まで低下している。需要がないため、職人の数も減り、原材料も道具も手に入りにくくなる、こうした悪循環にあると言えよう。

 需要の減少には様々な要因があるが、我々のライフスタイルの変化が主な理由である。先の広島県のかもじは女性の髪結いに使用されるものだが、近年日本人が和装する機会が減り、それと共に需要が減少していったのだろう。大変残念ではあるが、私のようなよそ者がいくら「広島の文化だ! 大事だ! 守れ!」と騒いだところで、「需要がない」「職人さんにも生活がある」と言われてしまえば、ぐうの音も出ない。

儲からないけれど大事なものとどう付き合うか

 上述したような、モノ作りが立ち行かなくなっている状況は、何も工芸だけに発生しているわけではない。例えば防衛産業では、陸上自衛隊の制服がいきわたらない、という記事があった。様々な企業が拠点を海外に移転するなどしてより安く生産しようとした結果、国産の被服は収益性に見合わず国内に作れる人がいなくなってしまった。こうした問題は、以前より「産業の空洞化」という形で多くの識者が指摘してきた。現在、コロナ禍やロシア・ウクライナ戦争を受け、主に経済安全保障の観点からサプライチェーンの見直しが進んでいるが、人々が目先の経済的利益だけを追求する限り、本当は大事なのに社会がその価値に気づかずに消えていくものは、今後も増えていく気がする。

 ここで改めて問いたいのは、「儲からないもの(割に合わないもの)」は一切不要と整理して良いのか、ということだ。つい最近も歴史ある西武池袋本店の土地などの売却問題が世間を賑わせた。十分な対価を得られなければ「人の役に立たない」という烙印を押されるのが、資本主義社会の掟である。企業経営の観点で言えば、売却の決断は正しいのかもしれないが、歴史あるものがなくなることへの言いようのない寂しさを感じた人もいたのではないか。デパートは、地域に暮らす多くの人が一度は足を運んだだろう場所である。幼少時に両親に連れて行ってもらって屋上遊園地で遊んだ記憶や、大切な誰かへの贈り物を買いに行った時の温かな気持ち。そうした感情を生み出したものは残念ながら、採算が合わなければファンドへの売却時の評価には資産ではなく負債として計上される。

 伝統文化に関する活動をしていると、相反する2つの「正論」にぶつかる。「経済合理性のないものは残す意味がない」という正論と、「経済合理性では整理がつかない、お金以上に大事なものはある」という正論だ。特に今の時代には、前者を追求すればするほど「思い出」「伝統文化」、あるいは「国防・安全保障」といった、経済合理性とは一線を画した議論が登場する。両者のバランスを取るのがあるべき姿だろうし、これまでなら民間で割に合わないものは政府が対応してきた。ただ、一つだけ確実に言えるのは、今後劇的な経済発展が正直期待できない中で、税収にも限界がある以上、国や自治体ができることには限りがあるということだ。

 今後、日本社会は難しい取捨選択を迫られることが増えていくだろう。予算の限度額を認識しながら、多種多様な社会課題に対応する必要があるからである。その際に、マスターカードのCMではないが、「お金で買えない価値」について、どの程度まで日本社会全体でコンセンサスをとれるかが鍵になる。高い収益性は期待できないが日本人の共有財産である伝統文化や、利益率は悪いが安全保障上重要な国産の防衛装備品の現状を、私たち一人一人がどう捉えるべきであろうか。「安いから」「コスパやタイパがいいから」といった受動的な価値判断だけに頼るのではなく、「何が自分たちにとって大事なのか」を改めて問う必要がある。

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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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