プーチンの愛国心教育は新たな「メディンスキーとトルクノフの歴史教科書」にどう記されたか(下)

執筆者:西山美久 2024年5月20日
エリア: ヨーロッパ
「特別軍事作戦」は計26ページを充てて詳述される[記者会見で新たな歴史教科書を紹介したメディンスキー大統領補佐官=2023年8月7日、ロシア・モスクワ](C)AFP=時事
メディンスキー大統領補佐官とモスクワ国際関係大学のトルクノフ学長が中心となって執筆した最新の歴史教科書では、混乱の時代として描かれるエリツィン時代と対比させながら、プーチン政権誕生後の国力回復が強調される。ウクライナ侵攻以前の教科書で抑制気味だった西側との対立や西側批判は、長期化する「特別軍事作戦」を正当化するプーチン大統領の主張を多数盛り込む形に変化した。クリミア「編入」の正当性やウクライナの核保有の可能性を警戒する記述など、注目すべきポイントをピックアップして訳出する。

6.プーチン政治による国力回復を強調

 さて、実際に教科書を見てみると、同書は1945年から1991年までのソ連時代を扱った第1部と、1992年から2020年代初頭のロシアを扱った第2部の構成で、計37章からなる。ハードカバーで、計448ページもあり、発行部数は5万部である。表紙には、ロシアが2014年3月に併合したウクライナ南部のクリミアとロシア本土を結ぶ「クリミア大橋」が描かれている。

 生徒の学習意欲を駆り立てる工夫も施されており、各章にカラーの図表や写真が挿入されたほか、各種資料にスマートフォンで瞬時にアクセスできるようにQRコードも付された。また巻末には「ペレストロイカ」「グラスノスチ」といったソ連史に関わる語句や「NATOの東方拡大」「テロリズム」など現代ロシア情勢を学ぶ上で必要な語句が数行で説明されている。重要事件をまとめた年表も付されている。各章には練習問題もあり、学習内容を振り返ることができる。クラフツォフ教育相やメディンスキー大統領補佐官が度々指摘してきた「特別軍事作戦」は、最後の第37章で説明されている。

 
写真提供:筆者(2点とも)

 

 前述の通り、本教科書は「国家の立場を示している」から、そのスタンスは冒頭にある「はじめに」で明瞭に記述されている。特に、初代大統領ボリス・エリツィン時代のロシアに関する記述と比較すると分かりやすい。著者によれば、「1992年から1993年にかけてソ連の計画経済体制が最終的に終わりを迎えた。1994年から1999年に実施された経済安定化の試みは期待どおりの結果をもたらさ」ず、また「政治・経済分野における国家の役割が弱体化したことで、生産は継続的に減少し、人口の大部分の生活水準は急激に低下した」。エリツィン時代のロシアは混乱の時代として描かれている。

 これに対し、プーチン政権誕生後はロシアが国力を回復し、それに伴う欧米との対立に力点が置かれている。著者は、中央が地方を統治する「権力の垂直構造」がプーチン大統領によって構築されるなどし「ロシアは21世紀に入り安定した」と説明の上で、「力を取り戻し、国際舞台での役割を回復したロシアの更なる発展を邪魔する勢力が拡大」、クリミアなど「歴史的な土地がロシアに返還された」、それに伴う対露制裁など「西側による挑戦は我が国をより強固するのは疑いない」などと記している。このようにエリツィン時代とプーチン時代を比較し、後者を評価する記述は、メディンスキー大統領補佐官が監修に関与した『ロシア史:20世紀初頭から21世紀初頭』でも見られるが、西側との対立やロシアの西側批判などは抑制気味に記されている。新しい歴史教科書では、長期化する「特別軍事作戦」を正当化するプーチン大統領の主張が多数盛り込まれたと言える。

 計26ページからなる「特別軍事作戦」を扱う第37章のタイトルは「今日のロシア、特別軍事作戦」とされ、その下には「いかなる要因が、ロシアに特別軍事作戦を始めさせたのか」との問いが記されている。この第37章では、ロシアと西側の関係から話が始まり、歴史認識問題やウクライナの政治情勢など項目ごとに説明が続き、「特別軍事作戦」に至る経緯がロシアの視点で詳細に記されている。以下、各項目の記述内容を取り上げ、ロシア側のロジックを読み解きたい。なお、太字での強調は筆者(西山)によるもの、文末にある丸括弧内の数字は当該説明が記載された教科書のページ数を意味する。

7.「西側」の理想は「ロシアを内部から不安定化させること」

ロシアは冷戦が終わったと考えた。私たちは、未来は米および西側との善隣関係の発展にあると信じていた。2001年9月11日に米国同時多発テロが生じると、プーチン大統領は米国民に対して哀悼の意をいち早く表明し、国際テロリズムとの共闘を訴えたところ、米露情報機関の協力を歴史上はじめて拡大できた。米露は戦略兵器の削減を継続、また「NATO・ロシア理事会」も創設され、2010年には戦略兵器削減条約が締結されるに至った。ロシアは欧州諸国との間でエネルギー分野での協力も拡大した。(391ページ)
カテゴリ: 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
西山美久(にしやまよしひさ) 東京大学先端科学技術研究センター特任助教 九州大学大学院比較社会文化学府博士課程修了。筑紫女学園大学、北九州市立大学、長崎県立大学にて非常勤講師を務めたのち、北海道大学国際連携機構特任助教を経て現職。専門は現代ロシア政治。著書に『ロシアの愛国主義ープーチンが進める国民統合』(法政大学出版局、2018年)がある。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top