やっぱり残るは食欲

うどん旅

執筆者:阿川佐和子 2024年12月4日
タグ: 日本
エリア: アジア
讃岐うどんはコシがあって、美味しいですよね(写真はイメージです)

 香川県高松市へ行った。講演の仕事が始まる時間までだいぶ余裕があったので、

「どこか行きたいところはありませんか」

 主催者スタッフのKさんに聞かれ、私としてはおいしい讃岐うどんが食べられれば、それだけでじゅうぶんだと思ったのだけれど、せっかくのお誘いである。少しは市内観光もしてみましょうか。

 実のところ数年前に高松を訪れた際は、市内にある栗林(りつりん)公園にご案内いただいた。仕事前に広い砂利道を延々と歩き回るのは疲れそうだなとかすかに危惧したが、なんのなんの。訪れて心からよかったと思う。以来、誰かが「高松に行くんだ」と言うと私は即座に、「栗林公園は行ったほうがいいですぞ」と勧めることにしている。

 そもそも本公園は四百年ほど昔、水戸光圀公とも縁の深い高松松平家の別邸であったという。起伏に富んだ広大な敷地内には立派な松の木が一四〇〇本近く植えられており、いずれも巨大な盆栽のごとく姿形が美しい。

 公園を中程まで進むと、木造の大茶屋が現れ、その前面に大きな池が広がっている。池といってもただの池ではない。鯉が泳いでいるのを覗く程度と思ったら大間違い。小舟で周遊できるほどの巨大な池なのだ。

 実際、私も専任の船頭さんの漕ぐ小舟に乗り、水面側から大茶屋の優美な建物や庭の景色を眺めるという、いとも風流なる経験をさせていただいた。昔の殿様は、自宅の庭を散策するために、こんなダイナミックなしつらえをなさっておられたのかと驚愕した。

 ちなみにその庭園内に栗の木が一本も見当たらなかった。栗林と言うからには、栗の木が多いのかと思っていたが、

「そういえば栗の木は……?」

 案内係の方に伺うと、

「あー、栗の木は、ないんです。この庭園ができる以前からこの地を栗林と呼んでいたという説がございまして」

 思わず私は笑いましたね。松林公園と改名したほうがいいのではないでしょうか。でも「栗の公園」と思って訪ねたら、「あら、松のお庭だったのね」と驚く意外性も悪くない。

 そんな思い出のあった栗林公園を今再び訪れるのも一案かと思ったが、

「今回は屋島へ行ってみませんか?」

 Kさんに提案された。屋島の合戦の、あの屋島か。

「行きたい行きたい!」

 こうして我々は市内から車で二十分ほど、高松市の北東に位置する平たい丘の上を目指した。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』、『レシピの役には立ちません』(ともに新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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