「現代アートのユートピア」ドイツから失われる自由――ガザ紛争が引き起こした21世紀の「文化闘争」
パレスチナ問題が芸術界にも波及
「ドイツは今後、文化を生み出す場としての重要さを失っていくだろう」
政策提言もするベルリンのカルチャー組織で、スポークスパーソンを最近まで務めていたアーティストのソフィア(仮名)はそう語った。昨年10月以降、パレスチナとレバノンで市民を虐殺するイスラエルと、同国を支援するドイツ政府を声高に批判し、彼女はドイツの右派メディアや組織から攻撃を受けた。そのために活動資金を得られなくなり、所属組織脱退を強いられたことからドイツを離れ、パリに引っ越すと言う。
「国際的なアーティストは、検閲されるような場には行きたがらないはずだ。スーパースターたちは、行く場所を自由に選べる。ドイツは避けられるようになるだろう」
600万人のユダヤ人をホロコーストによって殺害した過去をもつドイツは、それを理由に昨年10月以降、イスラエルを支援し、米国に次いで多くの武器をイスラエル政府に供給してきた。国際刑事裁判所(ICC)によるイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と、ヨアヴ・ガラント前国防相に対する逮捕状発行に際しても、ローマ規程に署名しているドイツはその逮捕を義務付けられているにもかかわらず、「ドイツで逮捕するのは想像し難い」と政府広報官が記者会見で明らかにしている。
ドイツ国内ではパレスチナに連帯を示す人々が「反ユダヤ主義者」とみなされ、公の会議への招待、資金や会場の提供などを相次いで拒否されている。ベルリンは世界的な現代アートの拠点として、様々な国から文化関係者が集まってきていたが、昨年10月以降、パレスチナに連帯を示すアーティストは活動の場を奪われるということが相次いできた。
南西部のザールラント州博物館で2024年に予定されていた南アフリカ出身の著名なユダヤ人アーティスト、キャンディス・ブライツのビデオインスタレーションの公開中止が昨年11月に発表された。その理由は、彼女がソーシャルメディア上で、ハマスによるイスラエルでの殺戮を非難すると同時に、「数十年にわたる抑圧からのパレスチナ人の解放を支持すべきだ」とソーシャルメディアに書き込んだためだ。
同11月には、翌年3月から中部マンハイムなどで開催が予定されていた「現代写真ビエンナーレ」のキャンセルも発表された。同イベントのキュレーターでバングラデシュ人フォトジャーナリスト・人権活動家のシャヒドゥル・アラムがフェイスブック上で「イスラエルによるガザでのジェノサイド」を批判していたためである。
2019年にグラミー賞を受賞した、米国人パフォーマンス・アーティストで音楽家のローリー・アンダーソンは、今年1月、西部エッセンのフォルクヴァング芸術大学の名誉教授職を辞退した。やはり彼女がパレスチナに連帯を示し、「アパルトヘイトに反対する公開書簡」にサインしていたことを、大学側が問題視したのだ。
イスラエル批判がタブーとされる現在のドイツでは、アーティストは作品そのものの評価以上に、政治的志向が重視される状況になっている。イスラエルを批判していないか、ハマスによるテロ攻撃をレジスタンス活動と評価していないかなど、ソーシャルメディアでの投稿やシェアを含め、それまでの発言や署名などをすべて確認されるのだ。
「名前からしてアラブ系と思われるアーティストは、それだけで反ユダヤ主義者である可能性があると判断され、多くの組織や芸術機関からはじかれているようだ」。多数のアーティストと関わってきたソフィアはそう言う。
公的資金の配分でアーティストを統制
これまでドイツでは潤沢な公的文化資金が多様なプロジェクトや施設に付与され、比較的自由に多様な文化活動が行われてきた。しかし、公的資金の提供に際しても、「反ユダヤ主義」でないことが条件とされるようになりつつある。
ベルリンでは、昨年11月、パレスチナに連帯する反シオニストユダヤ人団体「中東における公正な平和のためのユダヤ人の声」による、中東の平和を願うイベントが開催された。それをホストしたことで、脱植民地、移民、クイアなど、オルタナティブな視点を提供する文化施設「オユーン」は、「反ユダヤ主義」だとして、直後に市政府からの資金提供を止められた。それ以降、同施設は、クラウドファンディングで集めた資金での運営を強いられている。
また、ベルリン市は今年1月、文化分野の助成金申請に際し、国際ホロコースト記憶同盟(IHRA)が提示する反ユダヤ主義の定義に従うことを求める条項を導入しようとした。IHRAの定義は「現代のイスラエルの政策をナチスのそれと比較すること」や、「イスラエル国家の存在は人種差別的な試みであると主張するなどして、ユダヤ人の自決権を否定すること」を反ユダヤ主義の例として挙げている。この曖昧な定義は、イスラエル国家に対する政治的批判と、ユダヤ人に対する差別を分けにくいとして、ユダヤ人学者や人権団体など専門家からの批判が多い。そんなIHRA定義への同意を強制しようとするベルリン政府に対し、表現の自由の制限であるとして大きな抗議が起こったため、同案は取り下げられた。
しかし、11月7日、ドイツ連邦議会は「今こそ二度と繰り返さない:ドイツにおけるユダヤ人の生活の保護、保全、強化」という決議(以下、反ユダヤ主義決議)を可決し、IHRA定義の導入を各自治体に求めた。「反ユダヤ主義を広めたり、イスラエルの生存権を疑ったり、イスラエルのボイコットを求めたり、BDS運動(イスラエルに対するボイコット、投資撤退、制裁を求めるキャンペーン)を積極的に支援したりする組織やプロジェクトに連邦資金が提供されないようにする」ことを明記し、特に文化・学術分野でそうすることが強調されている。
決議に法的拘束力はないが、ベルリンの弁護士のヤスミン・ハムディ氏は、この決議は「役所が裁量に基づいて行政上の判断をする際に参照する」ものになるという。そのため、イスラエルに批判的で「反ユダヤ主義者」である可能性があると行政にみなされたアーティストは、今後資金を受け取れなくなるだろう。
国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は、この決議によって「言論の自由、文化、学問の自由、集会の自由が制限される可能性がある」と声明で警鐘を鳴らしている。
前出のソフィアは言う。「ドイツには多くの文化助成金があり、アーティストにはユートピアのような場だと考えられてきた。アートが公的資金で支えられるのは、いいことだと以前は思えた。しかし、政府は誰を支援するか選別し、資金を道具として利用できるということがわかった。アーティストが国の望まないことを言い始めれば、政府は資金をカットできるのだ。
ドイツにも民間のアートギャラリーはあるが、公的部門で活動できなければ、ドイツで成功するのは難しい。民間ギャラリーで作品がよく売れているアーティストも、大きな美術館での展覧会への参加なしにはキャリアをうまく展開できない。しかし、この国の美術館はほぼすべて何らかの公的資金を受けているため、一度ブラックリストに載ってしまうと、もう美術館で展示できなくなる」
展示会場にパレスチナ国旗を持った活動家
11月22日、ベルリン中心部にある、国立「新ナショナルギャラリー」では世界で最も有名な写真家の一人であるナン・ゴールディン(71)の回顧展が開幕した。ユダヤ系アメリカ人で、1970年代から当時偏見を持たれていたLGBTQと共に生活し、写真を撮ってきたことで有名だ。2023年、アート雑誌「アートレビュー」で、アート界で最も影響力の強い人物と評価されたほどのアクティビストでもある。彼女が米国のオピオイド危機(麻薬鎮痛剤により多数の死者が出た薬禍問題)に抗議した様子を記録した映画『美と殺戮のすべて』は、2022年のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。彼女は昨年10月、パレスチナの解放を支持し、イスラエルによるジェノサイドを批判する公開書簡に筆頭でサインしていた。さらに、反シオニストユダヤ人による停戦を求めるニューヨークでのデモにも参加し、警察に逮捕されたこともある。
そんなゴールディンの展示会開催はドイツで波紋を呼んだ。この回顧展はヨーロッパの大都市を順番に回り、ベルリンでの開催は何年も前から企画されていた。社会に阻害されてきた人々を撮ってきた彼女の作品とアクティビズムを切り離すのは難しい。美術館は回顧展をキャンセルするのではなく、アーティストの政治的な態度について議論するシンポジウムをゴールディンに伝えずに企画した。しかし、彼女は登壇を断った。「私は美術館に否定されたと感じた。彼らは、自分たちが展示しているアーティストを支持していないことを証明しようと懸命だった」と独紙「フランクフルター・ルンドシャウ」に述べている。シンポジウムに当初登壇を了承したアーティストらも、次々にキャンセルする騒ぎになった。
そんななかで始まった回顧展のオープニングスピーチで、ゴールディンはイスラエルとドイツを厳しく批判した。特に、自国内のパレスチナ人とパレスチナに連帯を示す人々を反ユダヤ主義者と攻撃し、アーティストをキャンセルするドイツ政府を非難したのだ。
「ICCはジェノサイドについて語っている。国連もジェノサイドについて語っている。ローマ法王さえジェノサイドについて語っている。それなのに、私たちはこれをジェノサイドとして語ることはできない。ドイツよ、これを聞くのが怖いのか?」と述べた。
また、彼女の計らいもあって会場にいた、親パレスチナアクティビストらがスピーチ直後に「フリー・パレスチナ!」と声をあげ、その後の館長の反論スピーチがアクティビストの声でかき消される事態になった。パレスチナ国旗やバナーが会場内で振られ、ドイツでは大きな「スキャンダル」となった。連邦文化大臣のクラウディア・ロートやベルリン市の文化担当大臣ジョー・チアロは、ゴールディンのスピーチを「耐えられないほど一方的な政治的見解」であると批判した。
ソフィアは、「現代で最も重要なユダヤ人アーティストの一人である彼女を、ドイツはパレスチナに対する意見だけを理由に酷く扱っている。文化・学術分野では、今後ドイツに対するボイコットが広がっていくだろう」と指摘する。
ベルリン国際映画祭のボイコットを呼びかけ
すでに、ドイツの文化機関をボイコットしようという、カルチャーワーカーによる「ストライク・ジャーマニー」というキャンペーンがある。ドイツで開催される国際的な現代アート展「ドクメンタ」を1997年に統括したフランスのカトリーヌ・デイヴィッドや、英国の現代アートで最も重要なターナー賞の受賞者など、著名アーティストもこの動きに賛同し、署名している。
同キャンペーンが目下ボイコットの対象にしようと訴えているのは、2025年2月に開催される「ベルリン国際映画祭」だ。元々政治的なメッセージ性の強い作品が多く上映されることで知られてきた。
2024年の同映画祭では、受賞者が相次いでパレスチナへの連帯を訴え、停戦を求めた。それゆえに、同映画祭への批判、文化機関に対する監視強化を求める声がドイツで高まった。特に波紋を呼んだのは、イスラエルとパレスチナ出身のアクティビストが共同監督し、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したドキュメンタリー『ノー・アザー・ランド』だ。ヨルダン川西岸地域でパレスチナ人の村がイスラエル人によって破壊され、奪われていくという現実を映し出した作品だ。イスラエル人のユヴァル・アブラハム監督は、受賞スピーチでパレスチナ人の置かれた「アパルトヘイトのような状況」を批判し、ガザでの停戦を呼びかけた。これに対しロス連邦文化大臣は「一方的で、イスラエルに対する深い憎悪に特徴づけられる」と批判した。11月の「反ユダヤ主義」決議でも、この映画祭でのエピソードが「反ユダヤ主義」の例として挙げられている。
ホロコースト生存者の孫でもあるアブラハム氏はドイツで「反ユダヤ主義者」とレッテルを貼られたため、イスラエルで殺害予告を受け、家族も危険にさらされたことを英紙「ガーディアン」に明らかにしている。国際的にその騒動が注目された後、映画祭はこれまでとは異なるものになりそうだ。
今後のベルリンのカルチャーシーンはどんなものになるのだろうか。ソフィアは、統計はないものの、外国人アーティストがベルリンを離れる動きはすでにあると語った。
「今後のドイツは、今のドイツ政府の政策に政治的に賛成するアーティストにとっては、競争が減って良い状況になるだろう。ただ、私たちのような外国人アーティストは徐々に去っている。ベルリンの芸術性を高めていたのは、国際的なアーティストたちだ。今後もっと多くの人が去ると思うが、そうなればベルリンのアートシーンは狭まっていくだろう。政治的な発言をしないアーティストも、反ユダヤ主義者を糾弾する人たちにソーシャルメディア上での行動を厳しく監視されている。“検閲”を好む人はいないだろう」
別の都市で活躍する日本人アーティストは、自身は政治的発言をしていないものの、「利用されているような居心地の悪さ」があると打ち明けてくれた。「アートシーンを国際的に見せるため、“政治的に中立で無害な国”出身のアーティストが集められている」ように感じているそうだ。彼女の周囲では、複数のロシア出身のアーティストが政治的信条に関わらず展示を許されなかったという事例があったという。「文化局の職員は法的な手続きを踏んでいることを強調していたが、支援すべきでない出身国のリストなどがあるのだろう。市の美術館での最近の展示に思想がなく、薄っぺらいと言うアーティストの声を聞く」
アーティストの出身地や政治的信条をもとに、見せるべきアートを政府が決める。そんな状況を、2015年から4年ほどベルリンに暮らした中国出身の著名アーティストの艾未未は、「私は酷い政治的検閲の中で育った。現在の西側諸国ではまったく同じようなことが行われている」と英テレビ局「スカイニュース」に述べた。
ベルリン高等研究所のバーバラ・シュトルベルク所長は、「反ユダヤ主義決議によって、憲法で規定された科学の自由が大幅に脅かされる恐れがある」と、同決議決定の前日の記者会見で指摘した。
「反ユダヤ主義」を理由に言論の自由が縮小していくことで、文化だけでなく、広い分野で自由が今後ドイツで失われていくかもしれない。