中東―危機の震源を読む (68)

崩壊危機のエジプトを読む

執筆者:池内恵 2011年1月31日
エリア: 中東

 エジプト情勢が緊迫している。事態がめまぐるしく動いているため、今回はエジプトの現状についてQ&A形式で解説する。Q1.エジプトでは大規模なデモが各地で続き、ムバーラク政権が揺らいでいるようです。現状をどう見ていますか?A1.ムバーラク政権の正統性と威信が、1月25日以来の6日間で、取り返しのつかないほど傷ついたことは確かです。1月25日(火曜日)のデモ開始以来1週間となる2月1日(火曜日)に、100万人を目標に掲げた抗議運動が呼び掛けられています。この日に群衆は政権と全面対決する可能性があり、軍は流血の惨事を招く弾圧か、市民の側に付くかの判断を迫られることになります。    もし民衆の抗議行動の圧力によってムバーラク政権が崩壊すれば、単に「政権」の崩壊というだけでなく、1952年から続いてきた「体制」が崩壊することになります。それは、エジプトをモデルにして成立してきた、アラブ世界の共和制諸国が、連鎖して体制の危機を迎えることを意味します。シリア、イエメン、アルジェリア、リビアなどです。地域への影響は甚大です。  チュニジアで1月14日にベンアリー政権が崩壊したことが、エジプトの反体制運動に心理的な閾を越えさせました。遡れば2003年にイラクでフセイン政権が米国に打倒されたことが、アラブ諸国の共和制の諸政権の支配を掘り崩す遠因となったことは確かです。  現体制とは、1952年に青年将校たちが王制を倒し、反帝国主義、アラブ民族主義、アラブ社会主義といったイデオロギーを唱導してきたものです。すでにその理念と正反対の実態を備え、空洞化しています。それにもかかわらず、非常事態法を用いて超法規的措置を常態化する強権政治によって政権を維持しつつ【池内恵「立憲主義を骨抜きにする『緊急事態法』の政治」《中東―危機の震源を読む》(8)『フォーサイト』2005年8月号】 、支持者への利益誘導と反対勢力の巧みな抑圧によって延命してきました。  エジプトは、「裏返された革命体制」とでも形容すべき、矛盾した性質のものになっています。かつて反帝国主義を謳っていた体制が、現在は超大国と結びつく。かつて特権階級の利権を糾弾していた指導者の後継者が、今は特権階級と化している。社会主義を謳って大衆動員していたのが、今は国有財産を内輪で売却し、自由化政策を推進して外国資本を導入、莫大な利益を得る。これらは国民の誰もが知っていることです。2004年ごろから現政権と体制そのものに公然と立ち向かう動きが表面化していましたが、政権によって分断され、巧みに押さえ込まれて、あきらめムードが漂っていました。非常事態法によってほとんどあらゆる弾圧が合法的なものとされ、秘密警察の拷問が横行して国民に恐怖心を植え付けていました。しかしチュニジアの政変が、この恐怖心を振り払う大きな後押しとなりました。

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執筆者プロフィール
池内恵(いけうちさとし) 東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授、2018年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』(同)などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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