中東―危機の震源を読む (78)

中東民主化がアメリカに迫った政策転換

ビン・ラーディン殺害作戦を待って行なわれた中東政策演説(c)EPA=時事
ビン・ラーディン殺害作戦を待って行なわれた中東政策演説(c)EPA=時事

[カイロ発] オバマ米大統領が5月19日に国務省で行なった演説は、大規模デモがもたらす中東諸国の政治変動を受けた米国のこの地域に対する政策の新たな指針を示したものだ。 【リンク】  昨年12月17日にチュニジアの小地方都市スィーディー・ブーズィドでブーアズィーズィーという1人の青年が焼身自殺を図ってから半年。この間に中東を発信源として世界政治は大きく変わった。米国の政策と理念も、大幅な立て直しを迫られている。各国に波及する大規模デモと政権の動揺に、米国はどのような基準で対処していくのだろうか。  大規模デモという社会の内側からの要因によってアラブ各国の政治構造が根本から変化していく現在、米国の中東政策は現地の政治の主要な要因ではない。米国が現地に及ぼせる影響力は限られている。しかし大規模デモを繰り出す側は国際世論の後押しを重要な政治資源とし、各国の政権が国際的な制裁の及ぶ範囲を計りながらデモへの対応や弾圧の方途を考える。大規模デモが引き起こす各国の政治変動に米国政府がどう反応するかは、やはり中東政治の今後の展開の重要な要素である。  オバマの中東政策演説は当初もう少し早く行なわれるはずだったが、この日まで遅らされたと言われている。演説を遅らせた理由とは、言うまでもなく、5月2日(パキスタン現地時間。米国時間では5月1日深夜)に行なわれたビン・ラーディン殺害作戦である。この欄でも速報で論評したが【ビン・ラーディン死亡の中東への影響】、これは米国の中東・南アジア政策に一区切りをつけ、新たな理念原則に基づいた政策体系を前面に出していく大きなきっかけとなる。半年で中東地図を一変させた大規模デモの政治の出現と、米国が2001年の9.11事件以来の10年間に総力を挙げてきた「対テロ戦争」の区切りという2つの世界史的な画期が交差したところに、オバマの新中東政策は発表された。  オバマの中東政策演説は、そもそも米国政府が各国の現状をどう見ているか、という点についてだけでも興味深い。大規模デモが引き起こす結果は、各国の政治体制や社会構成によって異なる。本連載でも、「中間層の厚みと成熟度」「国民統合の度合い」「政軍関係」「米国など対外関係」という主要な指標で各国での異なる展開や帰結の見通しを立ててきた【中東諸国に走る社会的亀裂――リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか】 【アラブ政権崩壊の共通パターンを分析する】【「本丸」サウジアラビアは3・11デモ計画を食い止められるか──サウド家支配体制の正念場】 。イエメン、リビア、シリア、バーレーンといった、現在のところ最も体制の動揺が激しい諸国について、基本的にこれらの指標を見ていくことで展開が理解可能になるものと考えているが、米国政府はどう見ているのか。ここには当然、客観的な情勢分析だけでなく、米国の国益という主体的・主観的な要素が大きく関わってくる。しかし現地の現実の正確な評価を踏まえた上でなければ国益を最大化することもできない。米国大統領の演説とは、米国の情報網と知性を結集した客観認識と、利権やエゴや信念や思い込みや逃避も含む主観が織り込まれたものだ。それが国際社会の対応を方向づけ、現地の状況を大枠で規定していくだけに、目が離せない。

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執筆者プロフィール
池内恵(いけうちさとし) 東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授、2018年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』(同)などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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