風が時間を
風が時間を (6)

まことの弱法師(6)

執筆者:徳岡孝夫 2016年9月18日
タグ: 韓国 日本
エリア: 北米 アジア

 大阪を発つとき、私の財布には1万円弱の現金があった。そのうち5000円を1年後の帰国時用に取り置き、残りを横浜港郵便局から現金封筒で妻に送った。
 毎日新聞社には留学休職の制度があり、留学中(ただし1年以内)は本給の8割を留守宅に送ってやるという。私は妻の正常分娩に賭けた。
 タラップを上ればハワイまで、3食ベッド付きの御客様である。
 朝「ジュースを供す 上甲板バー 無料」と貼り紙があるので行ってみて驚いた。
 それは果物をパイナップルで薄めただけの濃厚液だった。
 これがタダか。こんなジュース飲んどるヤツと戦争してたのか。終戦から15年しか経たない。当時の日本人の知るジュースは、バヤリースだけだった。
 ビルマ(現ミャンマー)の留学生が「真白き富士の気高さを」と歌い、われわれが韓国学生のギターで紀元節、天長節を歌ったことから船上演芸大会の話が出た。
 日本の学生の中に鼻歌を歌いながら楽譜を書ける異能の人がいて、たちまち2部合唱隊が編成され、まず船上で歌った「荒城の月」とソーラン節はハワイに着いてからも我らの持ち歌になった。
 最初の生活費110ドルは、ハワイで受け取った。それ以外に5週間のオリエンテーション中は「旅行日」扱いで、1日につき9ドルが加算された。
 ワイキキで波乗りするボードの賃貸料が1日1ドル。レオナード・バーンスタイン指揮のNYフィルを、降るような星空の下、野外音楽堂の芝生に坐って聴いて75セント。1日9ドルあれば地上の楽園が買える時代だった。
 ワイキキには珊瑚色したロイヤルハワイアン・ホテルが君臨し、高層ホテルなど一棟もなかった。
 だが教室では絞られた。数百ぺージの本を渡され、翌週は指定個所につき問われ、意見を求められた。
 シェークスピアの講義もあった。アマチュア役者だという教授は、教室に来るなりネクタイを解き、両手で教卓をつかんで虚空を睨みハムレットの独白を朗誦した。(『新潮45』2016年9月号より転載)

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
徳岡孝夫 1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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