国際人のための日本古代史 (93)

「信濃」に着目した天武天皇と海の民の「慧眼」

執筆者:関裕二 2017年12月6日
タグ: 日本
エリア: アジア
長野県須坂市にある、高句麗系の積石塚古墳(筆者撮影、以下同)

 

 前回(2017年11月9日「世界記憶遺産『上野三碑』が物語る『蘇我vs.藤原』抗争」)に続き、東山道(とうさんどう)にまつわる話をしておきたい。今回の舞台は、信濃(長野県)だ。

 私事ながら、つい最近、松本市で講演をしてきた。呼んでくださったのは松本市岡田の方々で、地域の歴史資料をかき集め、冊子にまとめられ、その記念講演という形だった。

 演題は「なぜ天武天皇は松本に副都を築こうとしたのか」。ほとんど知られていないが、7世紀後半、律令制度が整えられる中、新益京(あらましのみやこ=藤原宮)とは別に、難波(なにわ=大阪市)と信濃に、副都計画が持ち上がっていた。難波は瀬戸内海の海の道を管理するためと理解できる。不思議なのは、なぜ突然信濃が注目されたのかである。その理由を考えていこう。

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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