第2章 我らのテナー

若き日の藤原義江。撮影年は不詳だが、撮影者は、第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市の「藤原義江記念館」提供)
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藤原義江は晩年に、
「自分の人生を振り返ると、恋愛と借金を繰り返し、その間歌も歌った。この一行が僕の人生だった」
と書いたことがある。
「我らのテナー」と呼ばれ日本中を席巻し、日本と外国を行き来しながら歌を唄い、観客の胸に突き刺さるステージを数々開いた。日本の社交界の中でも中心的な存在で、義江がその場にいるだけで会の格式が上がり華やいだ。日本で初めて本格的なオペラを上演するための「藤原歌劇団」を設立し、生涯、本格的オペラの普及に努めた。

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