
若き日の藤原義江。撮影年は不詳だが、撮影者は、第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市の「藤原義江記念館」提供、以下同)
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梅田から乗った汽車が淀橋の鉄橋にかかると、すぐに義江はハーモニカの箱を手にとって開けてみた。
「かなしくなったらこれをふきなさい」とおかみさんの下手な字が書いてある。義江は以前から欲しかったハーモニカが手に入った事で、天にも昇る気持だった。しかも新しい着物を着て、大好きな汽車に乗っている。

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