
若き日の藤原義江。撮影年不詳だが、撮影者は第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)
葬儀も一段落し、瓜生商会の重役たちと話し合いを持った。
若くして突然亡くなったリードには遺言のようなものも無い。しかし生前に書かれた義江の洋行についての出費計画のメモに基づき、瓜生商会も金銭的な協力をしてくれるということで、義江の洋行は再び決定した。
その後、コックの村田が言いにくそうに遠くを見ながら義江に語り出した。

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