
まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)
幾度かのカーテンコールを終えて重厚な緞帳はピタリと床に着き、再び上がることはない。鳴りやまない拍手と歓声を背景音楽に、夫は妻の待つ楽屋に飛んで帰ってくる。
「どうだった?」
得意と不安が入り交じり懇願するような眼差しで妻の答えを乞う。
「よかったわ」
夫が欧州のオペラの舞台に立つようになってから17年間変わらないやりとりだ。
しかし妻の「よかったわ」は、戦争が終わってよかった。オペラができるようになってよかった。生きていられてよかった、の意味である。

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