引き裂かれた時を越えて――「二・二六事件」に殉じた兄よ

【特別連載】引き裂かれた時を越えて――「二・二六事件」に殉じた兄よ(3)「デスマスクが語るもの」(後編)

執筆者:寺島英弥 2019年9月29日
エリア: 日本
ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供)

 安田優少尉が蹶起と襲撃の計画を突然、村中孝次元大尉から指示されたのは「二・二六事件」前日の 1936(昭和11)年2月25日の午後3~4時ごろ。場所は砲工学校に近い中島莞爾少尉の下宿だった。

 殺害目標は、昭和天皇の重臣、斎藤実内大臣と、陸軍首脳の渡邊錠太郎教育総監(大将)。事件の震源地となった歩兵第三連隊(現在の港区六本木)でその夜、同じ襲撃班とされた同連隊の坂井直歩兵中尉(三重県出身、事件後に刑死)、士官学校同期の高橋太郎歩兵少尉(石川県出身、同)、麦屋清済歩兵少尉(埼玉県出身、無期懲役)と顔を合わせ、襲撃計画の詳細を練った。それからの行動を、事件後の5月19日、安田少尉が被告席に立った東京陸軍軍法会議の尋問調書から再現してみたい。

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執筆者プロフィール
寺島英弥 ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)。3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/
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