【特別対談】岡本隆司×君塚直隆 中国とイギリス――今も生きる「帝国」と「悪党」たち(上)

執筆者:岡本隆司
執筆者:君塚直隆
2022年8月26日
エリア: アジア ヨーロッパ
バッキンガム宮殿のクイーンビクトリア記念碑(左)と、紫禁城に遺る皇帝の玉座(右)。東西両帝国の“象徴”といえる
本誌連載をまとめた『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)が出版された。刊行を記念して、著者の岡本隆司さんと、イギリス史が専門で、『悪党たちの大英帝国』の著者である君塚直隆さんが対談。「帝国」とは何か、なぜ「悪党」が次々と輩出するのか……歴史を動かしてきた2つのキーワードから、これからの世界の行方を考える。(後編はこちらから)

岡本隆司 「帝国」という言葉のイメージは、映画『スター・ウォーズ』じゃないですけれど、“悪の権化”ですよね。ということは、悪党じゃないと帝国が作れない、帝国には悪党しかいないという認識を、多くの人が持っているということになります。

 そして、大英帝国も悪党でなければ築けなかったということを、君塚先生は『悪党たちの大英帝国』でお書きになっているわけですが、私がこのたび上梓した『悪党たちの中華帝国』も同じです。我々の一般的な価値基準からすると、中国も帝国の一つであり、現代中国の習近平国家主席をはじめみんなが悪党に見えてしまう。

 また、今のロシア・ウクライナ戦争も、「帝国」というキーワードから考えてみると、国際政治のセオリーとは違う次元で読み解けるのではないかと思います。

君塚直隆 たしかに今回のウラジーミル・プーチン露大統領の動きも、ある意味“帝国の論理”で動いているように見えますね。

岡本 帝国にもいろいろあって、マッキンダー地政学のランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)という区分からすれば、ロシアや中国はランドパワーの典型なのではないかと思います。

 つまりロシアが勢力圏の発想で、ウクライナまでは自分のフリーハンドが効く状態にしておかないと不安だ、逆に言えばウクライナを敵対勢力に取られると非常にまずいといった心理が働いて侵攻したと考えれば、それはランドパワーの典型だと思います。

 それこそ19世紀的な、あるいはそれ以前の帝国というもののありようが、現在のロシアにもまったく変わらずに引き継がれているように感じます。

君塚 やはり中国にも、そうした勢力圏的な考え方というのはあるのでしょうか。

岡本 中国では歴史的に「華夷秩序」とか「朝貢体制」といった考え方があり、そこでのパフォーマンスが西洋で言うところの帝国とか帝国主義という概念に置き換えられていったという感じですね。

 典型的なのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵です。日本が朝鮮という朝貢国に攻め込んできて、朝鮮から助けてくれと言われたので、中国(明)が援兵を出したという、一応の手続き的な流れがあります。

 でも一方で、朝鮮半島を取られたら北京が危ない、朝鮮半島では自分たちのフリーハンドを持っておきたいという意識が中国にはありましたし、それは以後も続きます。そして19世紀になって西洋から「緩衝国」という概念が入ってくると、“朝貢国は緩衝国だ”とあからさまに言うようになります。

「ランドパワー」と「シーパワー」の帝国

君塚 イギリスの場合、帝国になる前、17世紀初頭までのテューダー王朝時代はまだ弱小国ですから、外国に対する恐怖心を常に持っていました。

 その後帝国へと成長するわけですが、すると今度は帝国としての恐怖心を抱くことになりました。それは具体的には、ネーデルラントを取られるという恐怖です。特に、フランスやスペインといった当時の大国にネーデルラントを押さえられると帝国の存亡に関わる、という意識は、長く続くことになります。

 第1次世界大戦がはじまった時、イギリスは中立を保っていました。同盟を結んでいたのは唯一日本だけで、それ以外の国とは組んでいない。

 ところが、ドイツはベルギーの中立を侵犯してフランスに攻め込みました。その瞬間イギリスはガラッと変わった。もともとドイツに友好的だったデイヴィッド・ロイド=ジョージさえ態度を変え、宣戦布告して大戦に参戦しました。

 第2次世界大戦も同じでした。ナチスはオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを全部押さえるわけですが、中でもベルギーは国王が亡命せず国内にとどまり、ドイツの無条件降伏要求を受諾した。これにウィンストン・チャーチルは烈火のごとく怒りました。このように、大英帝国にとってネーデルラントという場所は絶対に譲れない場所だったのです。

 こうした「譲れない場所」というのは、どの帝国にもあるのだろうと思います。それが現在の中国にとっては、台湾であったり朝鮮半島であったりするのかもしれません。

岡本 非常に興味深いお話です。

 大英帝国はまさにシーパワーの典型ですが、ランドパワーの国家からすると、シーパワーの気持ちはよくわかりませんね。

オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)

君塚 そうですね。その気持ちをわかる人がいる時代だと、危機は何とか回避できるんです。ドイツの例で言えば、オットー・フォン・ビスマルクはよくわかっていましたから、ネーデルラントには絶対に一歩も踏み込まなかった。

岡本 フランスのアルザス・ロレーヌ地方は取っても、ベルギーは取らない。

君塚 そうなんです。フランスのナポレオン3世も同じように非常に慎重でしたが、その世代がいなくなったら、ドイツでもフランス、ロシアと戦うためにベルギーを侵すという「シュリーフェン・プラン」が作られてしまう。ビスマルクが健在だったらありえない計画ですよ。

 ところが、このプランにヴィルヘルム2世がOKを出した。しかも、アルフレート・フォン・シュリーフェンが発案してから10年近くも温存されたものだった。

岡本 逆に言うと、シーパワーから見てもランドパワーの気持ちはわからないんですね。

 日本は大日本帝国時代、満洲を押さえたことで初めてランドパワーの中国の気持ちがわかったのではないでしょうか。では日本が中国になりかわれたかというと、そこまでの力はなかった。結局敗れていくしかなかったのだろうと思います。その意味では、大陸進出の足掛かりになった朝鮮半島は、日本にとっては鬼門なのだと思います。

帝国の攻撃性と防御性

君塚 帝国には攻撃的な面と防御的な面があります。ご承知のように、イギリスの本拠であるグレートブリテン島は、日本の本州の3分の2ほどの小さな島に過ぎません。でも、そのイギリスが北米やオセアニア、アフリカ、カナダへと拡大していく過程では、ものすごく攻撃的になります。その度合いは時代や地域にもよって違ってきますが。

 たとえばオーストラリアには、アボリジニと呼ばれている人たちがいましたが、その勢力はそれほど大きなものではありませんでした。だからイギリスからの入植者たちは、比較的容易にアボリジニたちを圧倒していきました。

 一方ニュージーランドでは、マオリ族が相当強かったので、結局戦争になってしまいました。こうした拡大段階では、シーパワーの帝国は攻撃的側面を持っている。

 ただ、ある程度領土が固まってくると、今度は防御的側面が大きく出てきます。その代表例が「グレート・ゲーム」と言われる、中央アジアを巡るロシアとの角逐です。もっともこれも、当初はロシアの南下に対するイギリスの防御的姿勢だったのですが、次第に攻撃と防衛のハイブリッドに変化していきます。

 ですからやはり、シーパワーの帝国は最初は攻撃的ですが、ある時点から防御と攻撃のせめぎ合いになっていくという宿命を負っていると思います。

岡本 攻撃的/防御的と分けるロジック自体が、非常にシーパワー的な発想ですね。

 一方、中国のようなランドパワーですと、たとえば清朝がなぜあのような「帝国」になったかと言えば、国を築いた満洲族のリーダーたちは、いかに自分たちが生きのびるか。その営為だけだろう、ということです。ある意味、防御的なんですね。清朝の版図拡大の最後を飾る新疆については、多少攻撃的というか、乾隆帝の虚栄と言った部分がなきにしもあらずですが、全体的に見れば非常に防御的ですね。

防御的攻勢で伸長した清朝

岡本 清朝の発祥となる満洲族は、明朝や朝鮮から圧迫を受けてきた結果、一つにまとまった。そして、その圧迫を跳ね返して独立を達成しても、まだ周囲に脅威はある。そこでさらに朝鮮に出兵したり、明朝を攻撃したり、モンゴルに攻め入ったりして次第に大きくなっていった。つまり自分たちが危ないという気持ちがあるから、大きくならざるを得なかったわけです。

 そして明朝が滅び、明の遺臣から“代わりに治めてください”と言われて、しょうがないので清朝を建てた。建ててみたら、やはりロシアやモンゴルからの圧迫があるわけで、清朝になっても大きくならざるをえなかったのです。

 そうして18世紀、国内の景気がよくなって、漢人がどんどん増えて経済力をつけてくると、今度は彼らの潜在的なパワーがすごく怖くなってくる。それを克服するには、国内に向けて、皇帝の権威や対外的な軍事力といったものを見せつけるしかない。だから乾隆帝は新疆を征服し、自分はこんなに偉い皇帝なんだと「十全老人」とまで名乗り、そのスーパーマンぶりをアピールしたわけです。

『悪党たちの中華帝国』で取り上げた人物で言うと、明の永楽帝も、自分の地位を守るために対外的に権威を発揚する行動をとった人物だと思います。

 ですから、中華帝国は防御と攻撃が一体となった形で膨張し、外の勢力の方が強かったら転落していく、こういう運動律がある。同じくランドパワーのロシアも、ソ連時代も含めてそういう消長を繰り返している気がします。今のプーチンのロジックもおそらく同じようなもので、ウクライナを取られると自分たちが危なくなるから先に取る。これは防御的であると同時に攻撃的でもあるわけです。私はマッキンダーの地政学を深く勉強したわけではないですし、その理論に全面的に賛成するわけではないですけれども、やはりランドパワーとシーパワーには厳然たる違いがある、ということを痛感します。

西洋的「帝国」概念にあてはまらない中国

君塚 今回のご著書では、冒頭で「帝国」という概念について詳しく説明されていますね。

岡本 我々がふだん使っている日本語の「帝国」という概念は、西洋から入って翻訳された「帝国」です。その概念では中国は連綿として帝国なのですが、実は中国が自らを「帝国」と名乗ってきたわけではありません。

 近代になって、日本語の「帝国」が中国語化されて、1915年末からの数カ月、ごく短期間ながら袁世凱を皇帝とする「中華帝国(Empire of China)」という国号を称した時期もありました。しかし、歴史家の目で見ると、「帝国」という言葉はオリジナルの漢語にはない。

君塚 そうみたいですね。

岡本 そもそも、中国の天子が「帝国」と自称するのは自家撞着です。中国が治める世界に「国」という限定的な概念はありませんし、ないからこそ天下を統べる「皇帝」を戴くのです。そんな中国を「帝国」と呼ぶのは本来とてもおかしい話です。「帝国」は非常に西洋的な概念ですから、中国史を研究する以上は、なかなか「帝国」と名乗れないところもあります。ですから、そのあたりの事情を、今回の本の「はじめに」で詳しく説明させていただきました。

君塚 やはり中国では「王朝」と言った方がわかりやすいのでしょうか。

岡本 そうですね。だから私は「明朝」「清朝」と呼んでいます。

君塚 中国の場合は、王朝が殷・周の時代から連綿として続いてきました。王朝そのものは易姓革命で交代していきますが、しかしその文化や精神が引き継がれていく。

 これに比べると、ヨーロッパなどは歴史が全然浅いですね。イギリスにしても、せいぜい7~8世紀あたりまでしか遡れない。では受け継ぐべき文明文化はどうなのかというと、結局はギリシャやローマから借りているわけです。紀元前7、8世紀以降のギリシャとか、紀元前後のローマ帝国を起源とした文化文明です。

 これが背景にあるからか、イギリスにしてもフランスのナポレオンにしても、ギリシャ・ローマやエジプトの遺物を自国に持ってきてしまったりしますね。ある種の文化的帝国主義というものでしょうか。

 しかし中国の場合はその必要がない。もちろん漢民族以外の民族が王朝を建てたこともありますが、それでも中華の華夷秩序の中で文明文化が続いてきた。特に、中国の場合、中心地がそれほど動いてませんよね。

岡本 細かく見れば、長安とか洛陽とか、実は結構動いているんですよ。北京などは本当に最果ての地ですし。

 でも中国は、中心地が動いていないような顔をしています。このあたりがヨーロッパと違って、国――ネイションとかステート――という形ではなかったということにもつながります。どこまでいっても「王朝」であり、「国家」とか「帝国」ではなく「天下」でしかないのが中国のありようなのです。だいたい「中国」の「国」とは単に場所というだけの意味で、「中国」を「中原」とか「中華」と言い換えても意味は通じるわけですから。

 ところが19世紀から20世紀にかけて、アメリカあたりで「インペリアル・チャイナ」(帝政中国)という概念が使われはじめた。この言葉は、当時は清朝皇帝や清朝のことをそう呼んでいただけにすぎなかった。

 ただ、これが後に学術用語になっていくと、「インペリアル・チャイナ」とは皇帝を戴いている中国の歴代王朝全般を指す、というふうに意味が拡大してしまったんですね。そして、「インペリアル・チャイナ」に対して「モダン・チャイナ」「コンテンポラリー・チャイナ」という用語が生まれてくると、それに乗っかっていく形で中国語でも「中華帝国」という言葉が使われるようになりました。

「チャイニーズ・ドリーム」は「乾隆帝」で収まるのか

君塚 中華人民共和国は、清の乾隆帝が築いた領土とほぼ同じ大きさですよね。

岡本 そうですね。新疆征服で最後のピースが入ったという形なので、現代中国の領土は乾隆帝時代の版図ということになるのでしょう。

晩年の乾隆帝

 そして中国共産党は、何とかして「天下」から「ネーションステート」に脱皮しようとあがいている。「チャイニーズ・ドリーム」とか「中華民族の復興」と言いつつ、新疆という「自治区」を強引に同化しようとしている。

 同化のバリエーションとして、香港における「一国二制度」があったはずなのですが、これも結局香港と共産党とではあまりに方向性が違い過ぎて、事実上香港を一方的に接収したような形になってしまった。

 台湾はどうなるか。一度は日本に割譲され、その後戻ってはきたのですが、国民党が入って自治区とも違う存在となっている。中国にとっては剣呑な場所なのですが、それでも統一することこそが、「中国の夢」ということになるわけです。

 そもそも、国民党も共産党もその生い立ちを見れば、いずれもソ連のボルシェビキの影響を大きく受けていますし、どちらも独裁体制だった。だから蔣介石が健在の頃は、変な言い方ですが、話が通じ合っていました。思い切り対立はしていましたが、言っていることは同じ。近親憎悪なんですよ。

 ところが今は、国民党は前世紀の遺物のように生き残ってはいるものの、台湾自体は民主的な体制がしっかり根付いた。つまり中国とは話が通じなくなってきたわけで、これが大陸の共産党にとってはとても困った事態になっている。

 だから、台湾を「自治区」という形で統合できるわけでもなく、「一国二制度」という形も香港でひどい失敗をしたことを考えると、中国の打つ手はとても難しいものになりますね。ロシアのウクライナ侵攻のように武力に頼るのもリスクが大きすぎますし、ひょっとすると中国はかなり戸惑っているのかもしれません。

 このことをアメリカがどこまで理解した上で台湾問題にコミットしようとしているのか、よくわからないところです。

 さらにこの先中国がどこまで勢力圏を広げていくのかも気になります。かつての朝貢国や周縁部、たとえば朝鮮半島や南シナ海方面に進出していくのか。また中国は尖閣諸島はもちろん、沖縄(琉球)も日本だと認めていなかったりするので、我々もまったく安心できません。さらに方向を転じると、インドとの国境紛争もあります。

 こう考えると、現在の中国がかつての乾隆帝の版図で収まるのかと言うと、どうも難しいのかな、と思います。

君塚 ヨーロッパからすると、朝貢とか冊封という概念がなかなか理解できないんです。そういうシステムがないですからね。ローマでさえもそういう感覚はなかったでしょう。

岡本 「トリビュート」という言葉を当てて、異邦人が奇怪なことをしているみたいな感じで受け止めているみたいですね。

君塚 神聖ローマ帝国の皇帝が、プロイセンの国王を許可するとか、ポーランド王になることを許すとか言った、エンペラーがキングの位を与えるという仕組みは、確かにありましたけれども、これは中華の制度とは全然違いますからね。

岡本 ですから、東洋史家の岡田英弘先生がおっしゃっているように、「Emperor」を「皇帝」と訳したのは誤訳だったのかもしれません。そもそもこの2つの概念は全然違うものですから。

 ただ、こうした誤訳や概念のすれ違いも含めてすでに歴史化されてしまい、それが現実に影響を与えて、今の国際情勢が出来上がってしまっている。君塚先生の『悪党たちの大英帝国』と、今回の私の本を読み比べていただければ、西欧と中国がなぜすれ違ってしまうのか、よくわかるのではないかと思います。(つづく)

 

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執筆者プロフィール
岡本隆司 京都府立大学文学部教授。1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。専門は近代アジア史。2000年に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会)で大平正芳記念賞、2005年に『属国と自主のあいだ 近代清韓関係と東アジアの命運』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞(政治・経済部門)、2017年に『中国の誕生 東アジアの近代外交と国家形成』で樫山純三賞・アジア太平洋賞特別賞をそれぞれ受賞。著書に『李鴻章 東アジアの近代』(岩波新書)、『近代中国史』(ちくま新書)、『中国の論理 歴史から解き明かす』(中公新書)、『叢書東アジアの近現代史 第1巻 清朝の興亡と中華のゆくえ 朝鮮出兵から日露戦争へ』(講談社)、『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)など多数。
執筆者プロフィール
君塚直隆 関東学院大学国際文化学部教授。1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(新潮選書/2018年サントリー学芸賞受賞)、『ヴィクトリア女王』(中公新書)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『王室外交物語』(光文社新書)他多数。
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