経済ジャーナリストにこの10年間で最も衰退の度合いが激しかった日本企業を挙げろと言われたら、大半が「東芝」と答えるだろう。2015年に発覚した不正会計(粉飾決算)に端を発し、その2年後には米原発子会社の破綻で連鎖倒産の瀬戸際に追い込まれ、さらに苦境下で資金供給源として受け入れた投資ファンドの圧力で経営が混迷。
その間の連結業績の推移が如実に危機の痕跡を物語る。2014年3月期に6兆4897億円の売上高で営業利益2571億円を稼ぎ出していたのに、2023年3月期には売上高3兆3617億円、営業利益1105億円へといずれも半減。約20万人いた従業員(連結ベース)も11万人弱へ急減している。
命運を分けてきた「3人目の社長」
東芝衰退の理由はことごとく経営トップに起因する。米ゼネラル・エレクトリック(GE)の「中興の祖」ジャック・ウェルチへの師事を広言し、ウェルチが磨いた品質管理手法の「シックス・シグマ」を忠実に東芝社内で実践していた西室泰三(1935〜2017年)をはじめ、彼以後の歴代社長たちが連続して冒した失政である。
西室が末席の専務から「8人抜き」で社長に抜擢された1996年以降の20年間。いま振り返れば、東芝は5人続けて社長の人選を間違えている。具体的には以下の面々である(カッコ内は社長在任期間)。
◎西室泰三【1996〜2000年】
◎岡村正【2000〜05年】
◎西田厚聰【2005〜09年】
◎佐々木則夫【2009〜13年】
◎田中久雄【2013〜15年】
産業界で広く知られる名言の1つに、“社長の人選を3代続けて間違えると、どんな良い会社でも傾く”との伝承がある。バブル崩壊後の「失われた30年」の間に、多くの人々が記憶する実例がいくつか転がっている。
例えば、シャープ。1998年に社長に就任した町田勝彦(79)は「液晶のシャープ」を標榜し、亀山工場(三重県)の最新鋭ラインで薄型テレビ用パネルの大規模増産に乗り出したが、自社製薄型テレビ「AQUOS」以外の外販需要の発掘を怠り在庫が膨張。2007年にその町田の後を継いだ片山幹雄(65)は亀山工場を凌ぐ堺工場(大阪府)を建設。操業開始予定の2009年にはリーマン・ショック直後の需要不振に見舞われていたにも拘らず、片山は稼働を強行し、その後業績は急速に悪化した。2012年に片山に代わって社長の座についた奥田隆司(69)は、リーダーシップの欠如により在任わずか1年で退任。経営陣は当事者能力を失い、後に台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業へ身売りを余儀なくされた。
一方、日立製作所は1999年からの10年間に在任した庄山悦彦(1936〜2020年)、古川一夫(76)の2人の社長が経営不振を招いたが、3人目の川村隆(83)が「100日プラン」と銘打った改革で業績のV字回復をもたらした。パナソニックも2000年からの12年間、中村邦夫(1939〜2022年)と大坪文雄(77)がプラズマディスプレイパネルへの過大投資を続け、会社が沈没しかけたが、大坪の後任となる津賀一宏(66)がプラズマディスプレイ新工場(尼崎第3工場)の操業を身体を張って停止させたことで破綻を回避できた。仮にこの時、大坪の後任社長に「イエスマン」が選ばれていたら、パナソニックはシャープと同じ運命に陥っていたに違いない。3人目のトップが有能で賢明な決断ができれば経営の再建は十分可能なのである。
名経営者になり損ねた社長
東芝の話に戻そう。3人どころか、5人も不作の社長が続いたのだから、会社が破綻の瀬戸際まで追い込まれたのも無理はない。ただ、この中で唯一、理解力や決断力などで十分な資質を備えながら、名経営者になり損ねた人物がいる。西田厚聰(1943~2017)である。……
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