先月(2023年5月)12日~18日の1週間、ウクライナのキーウに取材のため滞在した。ウクライナ軍の反転攻勢開始が伝えられる中、ロシア軍のウクライナ諸都市に対するミサイル、ドローン攻撃も激しさを増していた。ただ、不断の緊張の中でも、国民の間に動揺や戦争疲れが広がっている気配はなかった。
最大規模のミサイル、ドローン攻撃
13日、宿泊しているホテルの廊下から「警報が流れました。シェルターに入ってください」という館内放送が聞こえてきた。時計を見ると22時30分。慌てて、避難中でも作業できるパソコンや資料を小脇に1階に降りる。
シェルターは地下駐車場に設置されているが、宿泊客が続々と降りてくるという気配もなく、受付のホテル従業員に念のため、「シェルターに入った方がいいのか」と聞いてみる。「その方がいい」という答え。
シェルターは地下2階の奥まったところにあった。カーテンが吊るされ、その奥に椅子やベッドが並べられている。
数人が来ているのみで、その後数が増えるという気配もない。かなり冷えてきたのでセーターを着こむなどして、椅子に腰かけてうつらうつらしながら2時間ほど過ごしたが、状況の変化もないので独断で部屋に戻ってしまった。部屋に戻ってしばらくして「宿泊客の皆様、警報は解除されました」という館内放送が流れてきて、ほっとした。
シェルターに入ってしまえば、生命の危険はまずないだろう、という安心感はあった。ただ、滞在中、ほぼ毎日空襲警報でたたき起こされ、夜間、未明にシェルターに避難するのは辛かった。16日未明から朝にかけての爆撃は激しく、2時20分に警報が鳴り、朝6時ころまでシェルターに止まった。ベッドはすでに埋まっており、私は椅子を並べて横たわり、仮眠を取ってしのいだ。
16日午前11時、助手をしてくれていた大学生オレクシ・オトゥキダッチさん(25)に会うと、「未明の空襲は激しかった。爆音で窓ガラスがびりびり震えていた」とスマホに録音したという空襲の爆発音を聞かせてくれた。シェルターに入れば、外の音は聞こえず、「異例の激しい空爆」(ロイター通信が報じる市当局者発言)があったことをその時初めて知った。
警報が鳴ってミサイル、ドローンが到着するまで30分ほどの余裕があるので、いきなり頭の上から爆弾が降ってくる事態はまずない。落ち着いて避難し、シェルターに入ることで安全は確保される。
キーウ市民も空襲慣れしている面はあり、15日のことだが、日本語通訳イリーナ・シェペリスカさん(43)と食事の約束をし、パラツ(パレス)・ウクライナ地下鉄駅の地上出入口で待っていたら、20時になってビルの谷間に空襲警報が鳴り響いた。しかし、周囲では人々は何事もなかったかのように歩いたり、軽食スタンドで食事をとったりしている。
しばらくして現れたシェペリスカさんは、「しばらく様子を見てみましょう」と言って駅近くの海鮮レストランに入った。食事をとっていると30分ほどして彼女は「警報は解除されました」といって、スマホを私に差し出し、空襲警報アプリの表示を見せた。
機能し始めた防空システム
総じてキーウ市民の表情は落ち着いていた。ただ、こうした余裕は、今年に入り防空システムが機能し始めたことが大きい。
オトゥキダッチさんによると、侵略開始直後の2022年3月、そして、昨年から今年にかけての冬が最も厳しい生活を余儀なくされた。
昨年10月から今年3月まで5カ月間、ロシア軍による発電所などの都市インフラへの攻撃は激しく、停電が断続的に続いた。彼の住むキーウ市内の地域では、最も長かったのが36時間、地域によっては72時間電気がなかったこともあった。
彼の住居は5階建てのビルでガスもあったからよかったが、多くのビルが暖房の問題に直面した。インターネットも通じない。
ある友人は全てが電化された20階建てアパートに住んでいたため、水、暖房もなくエレベーターも動かなくなった。料理にはキャンプ用のコンロを使った。
ただ、空襲はウクライナ軍の防空システムの整備によって次第に無効化されていった。ウクライナ外務省でインタビューしたオレグ・ニコレンコ同省報道官(36)によれば、「西側供与の防空システムが効果を発揮し、ロシア軍のミサイル、ドローンの95%の迎撃に成功している」という。
当地の外交筋によると、ウクライナ軍は統計処理を使って空襲のパターンを分析し、……
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