【前回まで】周防は5年前に急逝した作家・桃地実の自宅を訪ねた。そこにいたのは「オペレーションZ」の同志だった中小路流美と、なぜか海自の樋口梓二佐。梓は桃地の孫だった。
Episode3 リヴァイアサン
6
「隠した訳ではないのですが、かといってああいう場で、祖父の話をするのも憚られまして」
「樋口さん、お気遣いなく。世間は狭いと驚いただけですから。でも、桃地先生に、自衛隊幹部のお孫さんがいらっしゃったのが意外で」
学徒出陣し、九死に一生を得たという桃地は、徹底した平和主義者で、憲法九条を守る運動にも熱心だった。
また、反戦、平和維持をテーマにした小説も多い。冷戦時代の米ソ対立の結果、核戦争が起きて地球が瀕死の状況に陥った中、平和を求めて人々が立ち上がる『サイロ』は、映画化もされている。
「梓は、桃地家の跳ねっ返りなんです。両親は、理系の研究者で、自衛隊とはまったく無縁だったのに、大学進学時に『防衛大を受験する』と宣言して、周囲を驚かせました」
トキ子が嬉しそうに話す隣で、樋口が照れている。毅然としたいつもの彼女とは、まるで別人だった。
「もちろん祖父には烈火のごとく叱られました。その時、私は、軍事を否定するだけでは平和は守れない。自衛隊とは何かを知り、理想の防衛を遂行してこそ、平和が守れるはずだと反論したんです。それを聞いた祖父は、『面白い! ぜひ、日本初の女性幕僚長になれ!』と、背中を押してくれました」
「凄い話ですね。ちなみに今、樋口さんは、その理想の防衛を遂行されているのでしょうか」
「ちょっと、周防君、相変わらず失礼な奴だね」
樋口の隣に座っていた中小路からクレームが飛んだ。
「いえ、流美ちゃん、いいの。至極当然の質問だから」
「流美ちゃんって。君らはどういう関係なんだ?」
「私と梓は、高校時代に日本代表として一緒にニューヨークの模擬国連に参加したの。それ以来の親友よ」
世界中の生徒や学生が、一国の大使を任され、特定の議題について実際の国連における会議と同じように議論、交渉し、決議を採択するシミュレーション活動のことだ。
「なんというか、世間が狭すぎてびっくりだよ」
「驚かせてすみません。それで、私の理想の防衛をお尋ねですが、現状の自衛隊は、理想とは、ほど遠いものです。でも、今回の台湾有事対策に端を発する安全保障の抜本的改革で、少しでも理想に近づいてほしいと思っています」
それが省益に走らず、日本の安全保障を俯瞰して考え、責任感ある構えを目指そうという発言に繋がっているわけか。
実際、防衛省の磯部も「樋口二佐は、かなりユニークな幹部候補生だけど、制服組にああいう人物がいるのはありがたい」と評価している。
「私のような揺るぎなき信念が持てない男からすれば、頭が下がります。これからも一波乱も二波乱もありますが、ぜひ、その理想に近づけるといいですね」
「なんだか、相変わらずお人好しぶり全開ね。そんな調子で、防衛係の筆頭主査なんて務まるわけ?」
「それに答える前に聞きたい、中小路。おまえは、ここで何をしているんだ?」
「私は、今月から、桃地財団の理事になったの」
そんな話は初めて聞く。そもそも桃地財団って、何だ。
「小説のような悲劇を起こしてはならない――というのが、桃地先生の口癖だったのは、ファンなら知っているでしょう」
『デフォルトピア』の執筆中にも、周防は本人の口から、繰り返し聞いた。
日本を代表するSF作家であった桃地の別名は“滅亡作家”。作品の中で、日本、あるいは地球滅亡を何度も描いたせいだ。……
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。