
【前回まで】次世代装備研究所で磯部を待っていたのは、海自の幹部有志4人だった。彼らは防衛力整備計画に原潜開発を書き込むよう迫る。一方、桃地宅で周防を待っていたのは――。
Episode3 リヴァイアサン
8
「僕が来るからって、ますます意味が分からないんだけど」
「周防さん、まずはこれを受け取って下さいな」
トキ子が、A4サイズの封筒を差し出した。表に、『リボーン』と毛筆で記されている。懐かしい桃地の筆跡だ。
封の中には100枚ほどの原稿用紙が入っていた。
もしや、と思いつつ周防は原稿用紙をめくった。
“日本が破滅してから3ヵ月後――。
くたくたになって眠っていた大須[おおす]は、目覚めると意を決して叫んだ。
「もう、逃げてばかりではいられない。ここは立ち上がり、日本に残った者で、やるしかない!」
やるしかないって、いったい何を……?
「日本を再生させる。いや、再生じゃない。今までにない希望に満ちた国づくりをするんだ」”
「もしかして、『デフォルトピア』の続編ですか」
「信じられないでしょ。でも、どうやらそうらしいのよ」
中小路の声が弾んでいる。
そんなことがあるのか。そもそも『デフォルトピア』が未完なのに……。
「最後の作品と格闘している時、桃地は時々苦しくて息ができなくなる。だから、もう一編、希望の物語を書いていると、言ってました。おそらく、この作品のことだったのでしょう」
周防がアシストした『デフォルトピア』は、執筆に着手した直後こそ、凄まじい速度で書き進んでいたのに、途中から原稿が進まなくなった。それは、病のせいだろうと、周防は思い込んでいた。
「それにしても、今頃になって原稿が見つかるなんて」
「桃地が亡くなる直前に、その原稿をある方に預けたからなの。そして、死後5年間は、存在すら秘してほしいと。その後、梓に託してほしいと遺言していたの。私は、そんな話を全然知らなくて、原稿を送られた梓から相談を受けてびっくりしました」
トキ子夫人の説明を聞きながらも、周防の目は原稿の文字を追っていた。
主人公の元財務官僚である大須は、ゴーストタウンになった東京で、農業を始める。やがて、人が集まり分業を始める。
小さなコミュニティが、やがて集落へと発展する人類の生活史を、近未来を舞台にして、桃地は描いていた。
「ファン垂涎ですね。こんなものを僕は戴けません」
「周防君、最後のページを見て」
中小路に言われて、最終ページを見た。
「嘘だろ!」
“ここから先は、若い世代に委ねるべきだな。
周防君、お会いしたことはないが周防君の良き“相棒”である中小路さん、そして梓に、これから先を託したい。
真っ白な地図に君たちが、未来を書き込むんだ”
「ちょっと待ってくれよ。これは、無茶だろ。そもそもなんで僕なんだ」
答えたのは、樋口だった。
「まず、申し上げなければならないのは、ここから先の小説を書いてほしいと、祖父が考えていたわけではないはずです。今までない希望に満ちた国をつくって欲しいと願ってたんです」
「でも、僕や中小路に何ができるんですか」
「祖父は、『オペレーションZ』の結果を知らずに、この世を去りました。でも、私には『必ず成功する。そう信じている』と断言していたんです。
だから、あのプロジェクトチームに、希望の国づくりを託したいと考えたのだと思います。でも、私の名があったのには、驚きました」
「もしかして、先生は、遠くない将来、自国の防衛は自分でやれ、とアメリカに宣告されるのを予想されていたんだろうか」
周防は言ってすぐ、桃地ならたやすいことだった気がした。
「私も、今となってはそう思います。でも、安全保障の専門家として、参加せよという程度なのか。まだ判断がつきかねています」
歳出半減策が実現すると桃地が信じていたとしたら、国家破綻は避けられると考えたはずだ。
なのに、『リボーン』と題された再生の物語のはじまりでは、まるで焼け野原のように荒みきった日本の姿が描かれている。
「それにしても『リボーン』の発表を5年も封印していた理由は何? そもそも小説はあくまでもフィクションでしょう。それを託すという話なら、本来作家や編集者に託すはずじゃないの?」
中小路の言うとおりだ。
つまり、桃地には財務官僚と自衛隊の幹部に託したい重大な案件があったと考えるべきなのかも知れない。
不意に周防は、桃地が生前に言った言葉を思い出した。
「実はね、命が尽きるまでに、どうしても書き残しておきたいテーマが、もう一つあるんだ」
『デフォルトピア』の脱稿が見通せた安心感からか、その日の桃地は、いつになく冗舌だった。
「えっ! どんな構想なんですか」
「日本人の自覚だよ。なあ、周防君、国家って何だと思うかね?」
即答しにくい問いだった。しばらく考えて、答えを捻り出した。
「国民の命と国益を守るために存在するもの、ではないでしょうか」
「まさしく。では、誰が国家を動かしているんだね?」
「政治家、でしょうか……」
「そうか、君でもそう考えるのか。私は、そうではないと思う。国家は、国民が動かしている」
「主権在民、だからですか」
「そんな教科書的な話をしたいんじゃない。確かに、日本で法律をつくり国家予算の配分を決めているのは、政治家かも知れない。また、公務員が、実務者として国家を維持している。
しかしね、元を正せば、命ある万物は、あまねく自分の命は自分で守るものだ。子をなせば親は子を守り、やがてコミュニティに発展すれば、互助の文化と知恵を育む。
国家は、そのコミュニティの最大単位とも言える。なのに、我々は、あまりにも無関心だ」
敗戦後の昭和から、平成、令和と時代が変わるにつれ、祖国愛が希薄になっていく。
この調子だと、そう遠くない将来、誰も国家のことはおろか、国民に課せられている義務や責任すら放棄するようになるのではないか。
それが気になってしかたがないのだという。
「結局、国民が社会や政治に無関心になっているというのは、国家の原動力であるはずの国民が、自覚を失ってしまったからじゃないだろうか」
桃地の心配に、周防は共感した。そして、それは財政再建を考える上で、政府が国民に強く訴えるべきことだった。
だから、「国民に自覚を促すというのは、現在我々が取り組んでいる問題においても、重要だと思います」と言ってしまった。
すると、先生は、「まあ、確かにそうだね」と言ったきり、その話は立ち消えてしまった。
あれは、痛恨の失敗だった。
「梓は何か聞いてないの?」
中小路に尋ねられて、樋口が考え込んでいる。
「徴兵制について尋ねられたことがあります」……

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