
【前回まで】主税局調査課の土岐は、事務次官や主税局長・我妻らと共に、保守党の防衛問題特別チームに呼び出された。梶野元総理の後継を狙う三神は、増税は認めないと息巻く。
Episode3 リヴァイアサン
10
保守党本部の玄関ロビーで、土岐と我妻は枚岡らと別れた。別のミーティングがあるからだ。
岡山と枚岡が乗り込んだ次官車を見送ると、我妻と土岐は、局長車で経団連会館に向かった。
会館の1階で、我妻は「ちょっとコーヒーブレイクしますか」と言って、自販機で二人分の缶コーヒーを買うと、ベンチに腰を下ろした。
「怒り心頭に発すってところかな、土岐君。でも、大丈夫だよ。あの人たちの意見は無視すればいいから」
ブラックコーヒーを一口飲んでから、我妻が嬉しそうに言った。
「昨日、私と岡山さんが官邸に呼ばれたでしょ。そこで、総理からお許しを得たんだ」
何も決められない「フラフラ殿下」が、三神ら「過激派4人衆」を無視せよと命じたというのは、信じがたかった。
「厳密には、官房長官が仰る隣で、総理が頷いたんだがね」
「今まで、党内融合に努めてこられた総理とは思えませんが」
「地位は人をつくる、ってことだな。大迫さんも、総理就任から1年を経て、そろそろ派閥の呪縛から解き放たれたくなったんでしょ。
それに、あの方は、図々しい人がお嫌いだからね。無理が通れば道理が云々を黙認すれば、総理の威厳は失墜し、再選も難しくなるのにも気づかれたのでしょう」
それもまた、個人のエゴじゃないか。誠心誠意、国家国民に尽くそうという意識が微塵もない。
「ところで君は、省内で“ミスター正義”って呼ばれているそうじゃないか」
「そんなあだ名、初めて聞きます」
宮城からはそう呼ばれているが、省内で言われているのは耳にしたことはない。
「名誉なニックネームじゃないか。僕なんて“寝業師”だよ。酷いよね」
だが、本人は一向に酷いと思っている風には見えない。
「いずれにしても、僕らは政治家ではないけれど、国民の側に立って、国民の期待に応えるという意味で、同じでしょ。それを実現させるためには、誰とも対立せずに、最適解の結果を手に入れる。特に来年度のような難しい予算は、それに徹するべきなんだ。それが財務省が担うミッション・インポッシブルのスタンスだよ」
我妻は簡単に言うが、そんな曲芸は、“寝業師”にしかできない。
「果たして、私が適任なのか分かりませんが、努力します」
「まずは、肩の力を抜くことです。相手は敵ではないし、単なるバカでもない。国会議員は、何万人という有権者に投票された人であり、これから会う財界人だって、皆超一流の企業を経営している。そういう側面を理解すれば、少しは相手をリスペクトできるでしょう」
反論の余地はない。
「こう見えて僕なりに揺るぎない正義があるんです。でも、正義は押しつけたり、見せびらかしたりしてはならない。これは、何度も失敗した先輩からのアドバイスです」
我妻は空になったコーヒー缶をリサイクルボックスに捨てた。土岐もそれに続いた。
経団連でのミーティングは、会長と3人の副会長という顔ぶれだった。
「本日、主計局と防衛省との折衝が終わり、来年度から向こう5年間の総額は43兆円となりました」
「思ったより、増えましたな」
思ったより、か。会長の溝端公之[みぞばたきみゆき]の予想は、いくらだったのだろう。……

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。