イスラエル・ハマス武力衝突、石油供給に影響する「2つの可能性」のインパクト

執筆者:小山 堅 2023年10月23日
エリア: 中東
イランのアミール・アブドラヒアン外相はイスラエルと米国に対し、「ガザへの攻撃を止めなければ混乱がもたらされる」と警告した[10月22日、テヘラン](C)EPA=時事
10月18日にイランが発した対イスラエル石油禁輸の呼びかけに対し、イスラム諸国の同調は今のところ見られない。だが、この武力衝突が石油供給に与える影響を考えるなら、やはり最大の焦点はイランだろう。ハマス奇襲にイランの関与を疑う声が高まれば、共にその蓋然性は低いが、第1に「米国が対イラン制裁を強化」、第2に「イスラエルが対イランで報復措置を実施」の2つの可能性が浮上する。現在、イランが国際石油市場に供給する約140万B/Dが低下するリスクのみならず、イスラエルがイラン石油関連施設を攻撃すれば地政学リスクも一気に高まる。

 ハマスによる大規模奇襲攻撃に始まった今回のイスラエル・ハマス間の激しい武力衝突は中東情勢に激震をもたらした。奇襲攻撃から2週間余が経った今、イスラエルによる地上戦開始に身構える形で、イスラエル・ガザを取り巻く国際情勢・地域情勢・地政学環境には緊張感が一層高まっている。世界の石油供給の重心である中東での地政学リスクの高まりは原油価格にも大きな影響を及ぼす。10月初めから奇襲攻撃開始まで、80ドル台前半に向けじりじりと値を下げていた原油価格は地政学リスクに反応、10月16~20日の週では90ドル前後の推移となった。

 軍事衝突の展開、その影響下での中東情勢、その結果を受けての中東の石油供給へのインパクト、の全てに大きな不確実性が存在し、先行きを正確に読むことは難しい。しかし、中東の重要性と原油価格高騰の可能性を認識し、以下では、地政学リスクと原油価格への影響に関して、特に石油供給への影響に着目して考えられ得る展開について考察を行うこととする。

市場のテーマは供給過剰懸念から一転、地政学リスクへ

 10月7日、ガザを実効支配するイスラム組織、ハマスがイスラエルに対する大規模なロケット攻撃を突如開始し、合わせて1000人規模ともされる戦闘員がイスラエルに侵入し越境攻撃を開始した。想定外の攻撃に晒されたイスラエル側では多数の死傷者が発生、さらには200人超とも見られる多くの人質を取られる事態に陥った。

 イスラエルは直ちに反撃し、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は「我々は戦争状態にある」と宣言、ハマス戦闘員との激しい戦闘状態に入った。ガザのハマス拠点に対する空爆を強化し、10日にはイスラエル軍はガザを包囲、電力供給遮断も実施された。また、イスラエル軍は過去最大となる36万人の予備役を招集し、激しい空爆を続けながら、ガザへの地上作戦実施の準備を整えつつあると見られている。

 これまでの戦闘によって、10月23日時点で軍民も含めて双方合計で6000人以上の死者が発生し、今後さらにその数は拡大する可能性が高い。包囲されたガザでは人道的危機状態が発生し、ようやくトラックによる支援物資の搬入が限定的に始まったが市民生活は極限的状況にあるとされる。ここで地上戦が開始されれば、ハマス及び民間の死傷者は激増する。またイスラエル軍側にも甚大な被害が予想されている。ガザの状況を受けて、ヨルダン川西岸での抗議行動激化やレバノン国境での親イラン組織ヒズボラとの交戦など、不安定化が拡大する様相も現れている。まさに、第4次中東戦争以来の衝撃的な軍事衝突の突如発生で、中東情勢が一気に流動化した、といって良い。

 世界の石油生産・輸出の中心地であり、かつ、「いざ」という時に頼るべき原油余剰生産能力の殆どが集中する中東で発生したこの激震は、原油相場に大きな影響を及ぼした。ハマスの奇襲攻撃が始まるまで、原油価格には下押し圧力が作用し続けていた。9月27日に96ドル台であったブレント原油先物価格は、10月6日には84ドル台と10日足らずで12ドルも値を下げていた。価格低下の原因は、世界経済の先行き不安であり、その下での供給過剰への懸念であった。

 しかし、奇襲攻撃後の最初の取引日となった10月9日には、ブレント価格は急反発し88ドル台まで戻した。その後も、武力衝突の状況や地政学リスクによる石油市場への影響に関する情報に反応しつつ、原油価格は趨勢的には徐々に値を切り上げてきた。本稿執筆時点の直近である10月19~20日は、ブレント価格は92ドル台となっている。明らかに、今回の奇襲攻撃から始まった中東情勢流動化で、市場の潮目には変化が生じ、原油価格は新たな不安定化の時期を迎えている。

石油供給に影響なければ価格低下も

 原油価格の先行きは世界に多大な影響を及ぼす。原油が高騰すれば、日本などの石油消費国にとっての経済的打撃は大きい。個別消費者にとっては、ガソリンなど身近な石油製品価格の高騰は、代金支払い増大を通じて可処分所得の減少をもたらす。企業にとっては、エネルギーコスト上昇で経営圧迫要因となる。日本のような輸入国の場合、マクロ的に見てエネルギー輸入代金支払い増加で国富流出が加速する。また、インフレ加速要因となりかねない点も要注意である。要するに原油高騰で、消費国経済さらには世界経済全体に悪影響が発生する。

 また、エネルギー価格高騰は、所得の低い層に対して、より大きな悪影響を及ぼす「逆進性」を有する。これは社会・政治的安定にも重大なインパクトを持つことになる。その点、今回の中東情勢流動化による原油価格への影響は世界の重大関心事となりつつあるといって良い。

 もちろん、原油価格に影響を及ぼす要因は極めて多く存在する。世界経済、冬場の気温状況(厳冬か暖冬か)、OPECプラスの政策、中東以外の想定外の供給支障発生の有無など枚挙に暇がない。しかし、これらの条件は「所与」として、中東情勢の展開に注目して先行きを検討することの意義は十分にある。その場合、考えるべき要素は、①今後の軍事衝突の展開、②それを踏まえた中東の地政学リスク状況、③上記2要素の影響を受けた中東の石油供給へのインパクト、の3つになるものと思われる。

 筆者はあくまでも国際エネルギー情勢を専門としており、中東政治の専門家ではなく、まして軍事専門家などではない。そのため、以下の論考では、主に③の要素に焦点を絞り、①や②との関係も考慮に入れつつ、考察を行うこととしたい。

 この論考の進め方はそれなりの妥当性を持つものである。というのは、原油価格に最大の影響を与える究極的な要因を今回の事案で考えると、中東の石油供給に影響があるかないか、あるとすればどのくらいか、ということになるからである。10月9日に原油価格が急反発し、その後じりじりと値が上がってきているが、それは、先物市場における取引関係者が、今の地政学情勢が何らかの形で石油供給に影響を及ぼすのではないか、と考え「買い」を入れているからである。石油市場の実態を見ると、武力衝突が始まって今に至るまで、中東の石油は流れ続けている。しかし「先行き不安」が原油価格を上昇させてきたのである。

 そのため、地上戦が開始されれば、おそらく原油価格はすぐに反応し、短期的には急騰を見せるかもしれないが、地上戦が激しく続いても、中東の石油供給には特段何の影響もない、という状況が明らかになり、それを市場関係者が理解すれば価格上昇は落ち着き、短期的現象に止まる可能性が考えられる。もちろん、激しい軍事衝突と地政学リスクで、原油価格には押し上げ要因が働こうが、右肩上がりで上昇が続くとは限らない。むしろ、その場合でも中東の石油供給には影響がなく、世界経済減速などに市場の関心が向かえば、価格低下に動く局面も考えられる。

注目すべき、イランへの米国・イスラエルの対応

 このように考えると、今後の原油高騰をもたらすリスク要因は、どのような場合に実際に相当規模の中東の石油供給低下が発生しうるか、ということになる。この点において、筆者を含めた多くの関係者が注目するポイントの一つが、今回の事案におけるイランの関与の可能性に関する米国・イスラエルの認識や対応の展開である。

カテゴリ: 経済・ビジネス
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
小山 堅(こやまけん) 日本エネルギー経済研究所専務理事・首席研究員。早稲田大学大学院経済学修士修了後、1986年日本エネルギー経済研究所入所、英ダンディ大学にて博士号取得。研究分野は国際石油・エネルギー情勢の分析、アジア・太平洋地域のエネルギー市場・政策動向の分析、エネルギー安全保障問題。政府のエネルギー関連審議会委員などを歴任。2013年から東京大公共政策大学院客員教授。2017年から東京工業大学科学技術創成研究院特任教授。主な著書に『中東とISの地政学 イスラーム、アメリカ、ロシアから読む21世紀』(共著、朝日新聞出版)、『国際エネルギー情勢と日本』(共著、エネルギーフォーラム新書)など。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top