フランスで、6月末から7月初めにかけて実施された総選挙の後の混乱が収まらない。大統領エマニュエル・マクロン(46)の与党連合「アンサンブル」、左派左翼連合「新人民戦線」、右翼「国民連合」のそれぞれが議席を3分し、多数派が形成できないのである。首相ガブリエル・アタル(35)が率いる選挙前の内閣は総辞職したものの、後任が決まらないまま、7月26日には五輪に突入した。欧州連合(EU)を牽引する立場にあるフランス政治の混迷は、ロシア・ウクライナ戦争への対応を含む欧州全体の外交や安全保障にも影響しかねない。
この問題は何に起因するのか。総選挙の経緯も含めて振り返った。
28歳首相候補の故郷を訪ねる
マクロンが国民議会(下院)の解散を表明し、選挙戦が始まったのは、6月9日に投開票があった欧州議会選で、国民連合の大躍進が確定した直後だった。
国民連合は6月中、その勢いを維持し、国民議会で初の第一党となるとの予想が大勢を占めていた。果たして、議会の過半数を占めて絶対多数を獲得するか、第1党ながら過半数には及ばないか。選挙の焦点はそこに絞られた。
過半数に至ると、マクロンは国民連合の党首ジョルダン・バルデラ(28)を首相に指名せざるを得ない。それ以外だと不信任決議を通されるからである。一方、半数に満たない場合には「首相は受けない」と、国民連合で独裁的な権力を振るう前党首マリーヌ・ルペン(56)は言明した。過半数かどうかは、フランス第5共和制初の右翼内閣が誕生するかどうかの分かれ目となったのである。
フランスは、あらゆる選挙が2回投票制である。筆者がパリに到着したのは、その第1回投票を3日後に控えた6月27日だった。
この旅の1つの目的は、日本で知られているとは言えないバルデラの人物像を探ることだった。国民連合が勝利を収め、彼が首相に就任する場合、フランス国外からも大きな注目を集めるだろう。右翼というだけでなく、まだ28歳である。果たしてその重責を担えるのか、その能力はどこから来たのか。ひとまず、彼の故郷を訪ねてみよう。
バルデラはパリ北郊、戦前にナチス・ドイツのユダヤ人収容所が設けられた場所として知られる住宅都市ドランシーに、イタリア系移民家庭の一人っ子として生まれた。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。