「隠したがり」体質が経済から受けている挑戦
中国で何が起こっているのかを正確に知るのは難しい。その1つの理由が、中国共産党の「隠したがり」体質のせいだ。中国共産党も、その師匠格のソ連共産党も革命政党であり、既存の巨大な政権、ソ連共産党の場合はロマノフ王朝、中国共産党の場合は中国国民党政権を打倒するために立ち上がった。当初は弱小集団であり、政権側の、秘密警察を含む強大な組織の圧迫を受けながら、生き延び、天下を取った。自分たちのことが外に漏れれば、命を取られる。そこで徹底的に秘密主義を貫いた。
中国共産党が天下を取った後も、この体質は変わらなかった。しかも、今でも、米国をはじめとする西側諸国が、中国共産党のガバナンスを平和裏に崩壊させる工作をしていると思い込んでいる。これが「和平演変」論なのだが、彼らの理解では、1989年の天安門事件も米国の策謀ということになる。それ故に中国共産党の「隠したがり」体質は、現在もまだ色濃く残っている。
この体質に穴を空けたのが、1978年の第11期三中全会(中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議)の、後に改革開放政策と呼ばれる新政策の導入である。経済を発展させるために、外に門戸を開き、海外から学び、国内改革を進めることにした。この政策を導入した当初の、計画経済と市場経済に関する激しい論争を記憶しておられる方も多いであろう。
92年の初め、鄧小平が「南巡講話」を出し、徹底した改革開放を求め、同年10月の中国共産党第14回全国代表大会において、「社会主義市場経済体制」の確立を決めた。ついに中国共産党の統治システムに初めて「市場」が導入されたのだ。政府によるマクロコントロールにより市場経済を導くことを以て「社会主義市場経済体制」と呼ぶようになった。当時の江沢民総書記は「経済工作の指導は、必ず経済のルールに則って行わなければならない」(1993年3月の第14期二中全会)と指示している。
だが「社会主義」と「市場経済」との間の兼ね合いをどうするかについて、進歩派ないし開明派と保守派の論争は、今日に至るまで続いている。
経済とは、経済活動に参加するすべての人たちの営みにより成り立つ。市場経済においては、情報の開示が不可欠であり、ここにおいて中国共産党の「隠したがり」体質は、厳しい挑戦を受けることになる。胡錦濤政権までは、可能な限り情報開示に努めた。マクロコントロールを効果的に実施するには、そうするしかなかったからだ。しかも当局者は、基本的に我々と同じ経済学を学び、経済運営をやろうとしていた。中国経済の分析も、これらを前提として行われてきた。しかし、2012年に登場した習近平政権は、江沢民、胡錦濤政権と同じではないことが次第にはっきりとしてきた。
習近平政権は、13年の第18期三中全会において『改革の全面的深化における若干の重大な問題に関する決定』を採択し、経済に関して言えば、これまでと同じ路線を進むことを示唆していた。だが、それから10余年の実践は、経済の国政における位置づけの再検討であり、経済と政治・イデオロギーとの関係の再整理であり、経済運営思想と手段の再構築であった。すなわち「習近平思想(習近平の新しい時代の中国の特色ある社会主義思想)」の最重要構成部分としての「習近平経済思想」の確立の試みでもあった。
それは「隠したがり」体質の強化であり、経済情報開示の縮小のプロセスでもあった。だから現在の経済の現場は混乱している。こういう大きな背景の下に、本年7月15日から18日まで第20期三中全会は開催されたのである。
経済思想そのものが変化している
これまでの三中全会が経済に関する重要決定を行ってきた例が多いため、
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