台湾へ逃れた香港人が語ったこと――「今は投票できることが何より嬉しい」

執筆者:広橋賢蔵 2023年4月16日
エリア: アジア
香港から移住したケンさんが暮らす台北郊外・淡水の風景 ©小山直則
“中国化”する香港を逃れて台湾に移住する香港人は少なくない。しかし、言語の壁もあり、教師や弁護士といった知識人でさえ、台湾で安定した職業に就くのは難しいという現実がある。それでもある香港人男性は取材にこう語った――「香港にはない自由があるので、今はこれで満足です」。

 急速に中国化し言論の自由などに制約が生じている香港を嫌って、台湾に移り住む香港人は、コロナ禍を経てもそれなりの人数に上る。このことは、言及される機会こそ多くないが事実である。

 台湾の蔡英文政権は2020年6月の「香港国家安全維持法」成立に合わせ、香港からの移民や投資を促進する専門の窓口を開設した。これ以降、香港人が新たな移民グループの仲間入りをしつつある。

 香港人は台湾の地で安住できているのだろうか。家族で台湾に避難してきた香港人移民のひとりに、現状を聞いた。

 香港からの移民は2021年をピークに減少

 蔡政権が香港人専用の窓口を開設したといっても、無条件に移民を受け入れているわけではない。3月20日付の台湾紙『自由時報』によると、台湾政府は香港人に対する厳しい移民審査を実施しており、「観察期間1年」という状態で居留証(滞在ビザ)の発行を待つ香港人が2000人を超えた、と伝えた。

 2022年時点で居留証を所持している香港人は8945名で、2021年に最高を記録した11173人から2228人減少している。中国が発布した「国家安全法」の実施を機に、香港人の海外流出が増えつづけているが、移住先として台湾を選択した人の数は2021年がピークで、2022年度は減少を記録した。

 新たに台湾の身分証(国籍)を取得した人数は、年度別に以下の通りだった。2019年1474人、2020年1576人、2021年1685人、2022年1296人。2022年は前年比で23%減少している。減少の理由として、『自由時報』は以下の4点を挙げている。

 ① 香港人は、香港人移民に対する台湾人の協力体制が不十分で、歓迎されていないと感じている。

 ② 香港人の就業環境がよくない。

 ③ 誰かが意図的に、台湾と香港の友好関係を妨害している。

 ④ 台湾以外の国のほうが、香港人を歓迎している。

 ただし、台湾政府が移民審査を厳格に行う背景には、「移民投資コンサルタント」の存在もある。台湾では一定額の投資を行うことで移住審査が有利になるため、台湾人コンサルタントが香港人たちにニセの投資会社を設立させた上で、ビザを申請させるのだ。あるコンサルタント会社が関わった案件では、香港人が代表を務める企業100社以上が同じ住所に登録しており、居留許可がおりた途端に会社をたたむ、という例も見られたという。

ひっそりと息をひそめる香港人たち

 中国政府によるウイグル人の迫害や、香港の急速な中国化を懸念して、全市民レベルで激化していった香港民主化運動。その過程で、次第に自由な言論環境が失われる様を目の当たりにした香港人は、留学生として、あるいは不動産を購入して長期滞在する形で台湾に逃れ、今では台湾各地に散り散りに暮らしている。

 筆者は彼らの本音を聞き出そうと、この2年間、台湾に移民した香港人たちと接触を試みたが、ほとんどがNGだった。彼らは「中国共産党の独裁に反対して避難している」と見られがちな微妙な立場であるため、台湾でひっそりと息をひそめているように感じる。

 必要以上に現地の台湾人と接触しない。いくら民主的な台湾といっても、どこに中国から送られたスパイがひそんでいるか分からないからだ。それは広東語を話す香港人同士であっても同じこと。彼らは慎重の上にも慎重を期し、台湾で生きていく中で無用の波風を立てないよう対処している。香港人が集まる食堂も、民主派が行く店と、中国派が行く店はくっきり分かれており、それぞれを色分けして表示するアプリもあるという。

 香港人と心を通わすことの難しさを痛感したが、昨年10月、苦心の末にようやく、台北市の郊外・淡水に在住する香港人と接触し、話を聞くことができた。

中国政府を信じ過ぎた

 ケンと呼んでくれ、と初対面の彼は言った。非常にフランクな応対だったので、こちらも安心した。

 香港で中学校の教師をしていたが、2019年にその職を辞して台湾に移住、2021年には台北郊外の淡水にマンションを購入した。年齢は50歳。同じく香港人の妻は47歳の会計士で、当初は香港に留まっていた。ケンはしばらく台湾で1人暮らしだったが、ようやく妻も台北に合流できたとのことで、表情は明るかった。

「私は台湾に来て1年で中華民国の身分証(国籍)も取得できました。今は申請する人が多くなったので、2年かかる人もいるみたいですね。(※筆者注:香港やマカオを含む中国出身者は原則1年で国籍が取得できる。日本人は5年

 1997年の中国返還の際、共産党の指導部は『50年間は自由にする、中国はそれを守る』とはっきりと言ったのに、その約束を破って力ずくで香港に非民主的な統治を強要した。これに私は屈することができなかったんです。

 思い返せば、返還以降の香港社会は順調に発展していったように見えました。が、2000年以降でしょうか、中国からの干渉が徐々に強くなっていきます。本来そこで反論すべき行政長官(香港を統括する首長。初代董建華氏は任期1997年7月1日~2005年3月12日、第2代曾蔭権氏は任期2005年6月21日-~2012年6月30日)は、何の策もなく、中国からの要求を受け入れ続けたのです。

 3代目の梁振英(任期2012年7月1日~2017年6月30日)は憲法の基本法を守らずに(民主化支持者の弾圧に)突っ走り、結果として雨傘運動(2014年反政府デモ)は失敗に終わりました。このあたりから私は、『移民したほうがいいかもな』と考え始めました。そして2018年に台湾政府へ居留申請を出し、2019年に居留許可が降りて、5月に台湾に来たんです。その年の6月、香港で逃亡犯条例改正案反対の大規模デモが始まった。200万人規模の香港の民が闘う様子を、私は台湾の報道で眺めるしかありませんでした。

 当時、家内がまだ香港にいたんです。民主派と中国派、双方の主張がぶつかりあって混乱を極めていたので、ニュースも何を信じていいのか分からず、とても心配でした。当初は、台湾に1年くらい滞在しながら香港の様子を見て、今後のことを決めようと思っていました。でも最終的にデモが鎮圧されるのを見て、『もうこれ以上、自分の権利をコントロールされるような社会には耐えられない』と思った。台湾に完全に移民する覚悟は、ここで固まったと思います。

 今になって振り返ると、我々香港人は、中国の中央政府を信じ過ぎていました。それまで、中国に対する反感は感じていなかったのです。香港は民主的で自治的な地域だと思っていたから」

香港と環境の似た場所に住みたい

淡水は夕日の美しさで知られ「東洋のベニス」とも呼ばれる ©中山歩

 ケンさんの話は続く。

「2020年に入って、台湾の滞在ビザを求める人が急増したからでしょう、家内のビザの手続きが遅れて、その間にコロナ禍に突入してしまったので、鎮静化を待っていました。

 家内は2021年の12月にようやく台湾に来ることができた。私の弟も、2022年に入ってようやく台湾に入れました。一方で、家内の家族や弟の家族は、2022年のうちに英国へ渡りました。家族が散り散りになってしまいましたが、息の詰まる香港にいるよりはマシです。幸い、香港にあった家内の不動産は値が上がっていたので、有利な価格で売却できて、損失はなかった。それでだいたい香港とは縁が切れた状態です」

 現在の住環境については、どう感じているのだろうか。

「香港では沙田(サーディエン ※新界南端の新興都市)に住んでいました。今、住んでいる淡水は、河口の街なので湾口都市の香港に似ていて、環境は気に入っていますね。購入したマンションは、香港で住んでいた家よりも広くなって、景観もよく、海が見えるので気分がいいです」

 香港の環境に似た淡水のほか、台北近郊では、台地状になっていて桃園空港にほど近い林口の新興住宅エリアや、新北市新店の山裾に住む香港人が多いと聞く。

香港人は新築のマンションを好む ©中山歩

「香港人は古いマンションには入りません。新築を物色します。その理由は、ひとつには、新しくできたコミュニティでは隣付き合いをしなくていいからです。古い住環境では、何かと隣付き合いが必要になるでしょう? 香港人はそういう複雑な人間関係を嫌がるんです。台湾に移り住む香港人は、だいたい移住から2年目以降に、よく居住環境を理解した上で不動産を購入することが多いです。私は(多くの香港人が好んで選択するエリアである)台中の空気が好きではないんですが、台北よりマンションの室内面積が広くなるので、そちらを選ぶ香港人は多いようです」

 

教師がUberドライバーに:厳しい就労環境

 ケンさんは台北に来てから、どのように生計を立てているのか、聞いてみた。

「現在はUberタクシーの運転手をしています。始めた当初は台湾の交通状況が分からなくて怖かった。しかも、台湾でいくつもの試験をクリアしなくてはいけなかったんです。以前のような教師の仕事に就くのは、台湾では容易ではありません。移民仲間の中には弁護士もいますが、英語は話せても、台湾華語(北京語に近い)に強い訛りがあるし、台湾語も話せないということで、敬遠されることが現実のようです。香港人にとって台湾で就職するのは、ひとつの試練になっています。自ずと職種も限られてきますが、何よりも、今の香港にはない自由があるので、今はこれで満足です。

 特に、選挙で投票できるというのは気分がいいですね。次の選挙は家内といっしょに投票に行くつもりです」

 実際にケンさんは、2022年11月の統一地方選で投票し、民主的に首長や議員たちが選ばれる現場を久々に味わったそうだ。

ウクライナ人と違って、香港人は武器さえ持てなかった

 ケンさんは、香港の当時の状況をウクライナと比較して、こんな風にも語っていた。

「私たちとウクライナとでは色々と状況が違ったとは思いますが、ウクライナ人は武器を持って大国ロシアに団結して立ち向かった。とても勇敢だと思う。でも、我々香港市民は、武器も持てなかったんです。結果、上層部から圧力を受けただけで、市民は白旗をあげて、抵抗はあっけなく終わってしまった。悲しいことです。

 将来、もし台湾と中国が戦闘を始めたら、ウクライナと同じように、長くて悲惨な結果になるでしょう。結果はどうあれ、野心で侵略をしようと戦争を発動するのはいけません。本当に戦争するタイミングは、その国が存亡の機にある時だけなんです」

 香港という場所で、徐々に追いやられた経験を踏まえた上でこそ語れる、示唆に富んだ「流浪の民」の言葉だった。

 香港の制圧に成功した今、中国はその矛先を次なる制圧予定地、台湾に向けつつある。米中関係が悪化する中で、台湾がどちら側につくのか、というせめぎ合いの構図にもなっている。ウイグル、香港、そしてウクライナの人々の境遇に思いを馳せた上で、台湾人にはどういう選択ができるのか。少なくとも今は、台湾の地に庇護を求めた香港人が声を潜めて語る警告に、注意深く耳を澄ませる時ではないだろうか。

 

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
広橋賢蔵(ひろはしけんぞう) 台湾在住ライター。台湾観光案内ブログ『歩く台北』編集者。近著に『台湾の秘湯迷走旅』(共著、双葉文庫)など。
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