インテリジェンス・ナウ

米情報機関がロシアの機先制す:「ウクライナ」でプーチンに警告したCIA長官

執筆者:春名幹男 2023年7月21日
エリア: 北米 ヨーロッパ
米政権外交安保チームのキーマン、バーンズCIA長官(右から2人目)(C)EPA=時事
いったんは失ったロシアのスパイ網を再構築した米情報機関は、ウクライナ侵攻でも「プリゴジンの乱」でもロシアの機先を制した。中でも、元外交官のバーンズCIA長官の貢献は大きい。
 

 ロシアの情報機関は、スパイもカウンターインテリジェンス(防諜)の活動も不振が続いている。対照的に、米国の情報機関、特に中央情報局(CIA)の活動はいっそう活発化しているようだ。

 CIAはロシア軍のウクライナ侵攻計画を侵攻開始の約5カ月前、2021年10月に確認していた。さらに今年6月下旬、ロシアのウラジーミル・プーチン政権を揺るがした「プリゴジンの乱」でも、ロシア治安機関より先に、民間軍事会社「ワグネル」の武装行動を察知していたことが『ワシントン・ポスト』の報道で分かった。

 プーチン大統領は2016年の米大統領選挙で、側近だったエフゲニー・プリゴジンに命じて「インターネット・リサーチ・エージェンシー」という組織を作らせ、数百人のスタッフを使って米国人になりすまし、大量のSNSアカウントを開設、候補者だったドナルド・トランプ前大統領を称賛するメッセージなどを送信して、トランプ当選に貢献した。

 トランプ氏は大統領在任中、政権内で繰り返し、米国を北大西洋条約機構(NATO)から脱退させようとした。まさに、プーチン大統領の「米欧分断」という目標達成へあと一歩まで迫っていたのだ。しかし2020年のトランプ再選に失敗、その後ロシア情報機関の活動は活気を失っていったようにも見える。

 反対にCIAは、ロシア側も監視しているSNSサイト「テレグラム」に、ロシア人に対してCIAへの情報提供者になるよう勧めるビデオを投稿した。ウィリアム・バーンズCIA長官は「ウクライナの戦争に対するロシア人の不満がスパイをリクルートする絶好の機会をもたらした」と自信を示している。

 今、米露情報機関の間で何が起きているのだろうか。

オバマ政権の深刻な失敗

 CIAは実は、2016年米大統領選挙の当時もクレムリンの内部に非常に優秀なスパイを潜り込ませていた。

 同年8月、CIAからホワイトハウスに渡された「アイズ・オンリー」の文書は、バラク・オバマ大統領(当時)を含めた4人の高官のみ回覧し、回収された。主な内容は次の2点だ。

●プーチン大統領は米大統領選挙への介入を自ら指示し、サイバー攻撃で混乱を起こして選挙への信頼性を失わせるよう命じた。

●プーチン大統領の目標は民主党候補、ヒラリー・クリントンを打倒するかダメージを与え、トランプ候補の当選を支援すること。

 この時点ですでに、ロシア情報機関が民主党全国委員会のサーバーから約2万件のeメールを盗み、情報公開サイト「ウィキリークス」に掲載させていた。その中に全国委員長が予備選挙段階でクリントン候補に有利になる扱いをしていたことを示す記述があり、委員長が党大会直前に辞任する騒ぎも起きていた。

 しかし、超慎重なオバマ大統領は、国家情報長官と国土安全保障長官に連名でロシアの介入を非難する声明を出させただけだった。

 スパイの疑いがある35人のロシア外交官の国外追放とロシアの2施設の閉鎖という対抗策を発表したのは、トランプ大統領勝利後の12月のことだった。

 プリゴジンらによるSNSを使った工作は特別検察官の捜査で判明、プリゴジン本人を含むロシア人関係者11人と2法人が2018年2月になってようやく起訴された。

相互に嫌悪感強めた米露情報機関

 米大統領選挙への介入をプーチン大統領が指示したとの情報をCIAに伝えたのは、ロシア大統領府職員オレグ・スモレンコフ氏だった。彼は2006~2008年にユーリー・ウシャコフ駐米ロシア大使の下で2等書記官として勤務しており、その際CIAにリクルートされたとみられる。(2020年1月29日『クレムリンから消えていた「CIAスパイ」:「トランプの暴露」恐れて出国を指示』参照)

 しかし2017年5月10日、大統領執務室でトランプ大統領がロシアのセルゲイ・ラブロフ外相、セルゲイ・キスリャク駐米大使(当時)と会談した際、彼らにCIAがイスラエル対外情報機関「モサド」から得た情報を漏らしたことから、スモレンコフ氏に関する情報も危ないと恐れて、急ぎ出国を働きかけた。同氏ら一家5人は6月14日にモンテネグロ経由で、イタリアを経て米国に亡命した。

 2018年当時、ロシア国内の米国側スパイからの情報提供が急減したことがあり、彼らの行為が探知され、処刑された疑いがあると一時懸念されたが、深刻な問題はなかった。

 その間、2020年に「ロシア軍参謀本部情報総局」(GRU)が、アフガニスタンの当時の「タリバン」系武装勢力に金を渡し、米軍兵士を殺害すれば1人当たり10万ドル(約1400万円)の報奨金を渡していた事実が表面化し(2020年7月27日『ロシアが米兵殺害でタリバンに報奨金:プーチン大統領「リベンジ」の深い理由』)、米露間の感情的嫌悪感が高まった。

 また、中露情報機関が米国関係情報で協力を強化したとの疑惑も指摘された。

クレムリン内にスパイを維持

 そうした疑惑を吹っ飛ばしたのは、2020年米大統領選挙でトランプ前大統領が再選を阻まれ、翌2021年秋にロシアのウクライナ侵攻危機が高まったことだった。

 同年10月、米情報コミュニティ(IC)は、プーチン大統領によるウクライナへの侵攻計画に関する詳細な情報を入手した。

『ワシントン・ポスト』はその時の米大統領執務室の緊張ぶりを伝えている。集結したのは、アントニー・ブリンケン国務長官、ロイド・オースティン国防長官、マーク・ミリー統合参謀本部議長、アブリル・ヘインズ国家情報長官、バーンズCIA長官。ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の司会で、ジョー・バイデン、カマラ・ハリス正副大統領に「プーチンの戦争」の全体像が示された。

 偵察衛星が撮影し国家地理空間情報局(NGA)が分析した画像情報(IMINT)、国家安全保障局(NSA)が傍受した信号情報(SIGINT)、スパイからの人的情報(HUMINT)など総合的な情報を駆使して、説明が行われた。

 この中で、CIAからの指示でロシアを出国し、米国に亡命した元クレムリン職員のスモレンコフ氏に代わる貴重な情報源を含めて、要所に米国のスパイを確保していたことが確認されたとみられる。

米露スパイ戦争は形勢逆転

『ワシントン・ポスト』によると、ロシア軍は開戦と同時に、ベラルーシからウクライナの首都キーウに向けて侵攻、東西から挟み撃ちにして、「3~4日でキーウを占領する計画」だったという。

 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領については、ロシア特殊部隊「スペツナズ」が探索して発見し、必要なら殺害する。そして「傀儡政権」を発足させる計画だった。

 その計画を担当していた情報機関は「ロシア連邦保安局」(FSB)だったが、計画は失敗に終わった。

 にもかかわらず、アレクサンドル・ボルトニコフFSB長官らは解任されることはなかった。プーチン大統領自身がこうした計画にどれほど関与していたか不明だが、計画失敗に対してだれがどのような責任を取るのかも明らかではない。

 スパイ戦争は、戦後一貫してソ連・ロシアが優勢だったが肝心な時に形勢は逆転したようだ。

 プーチン大統領の就任自体が「KGB(ソ連国家保安委員会)の勝利」とも言われ、KGBのOBが要職を握る現状で、政府が一種の弛緩状態に陥っていたのかもしれない。

ソースとメソッドの露見を防ぐ情報公開

「ウクライナ侵攻計画」の情報を得て、バイデン米政権が取った戦略はオバマ政権とはまったく正反対だった。つまり、「ソース(情報源)」と「メソッド(情報入手の方法)」が露見しない範囲内でメディアを通じたリーク報道も含めて、結果的に公開した。

 この方式は、サリバン補佐官、ヘインズ国家情報長官、バーンズCIA長官らが合意して決めたとみられる。バーンズ長官はもう1つ「利益とリスクを評価した後にのみ公開」という条件を付けている。

 ただ1点、「プーチン大統領はまだ最終決断していない」とバイデン政権が侵攻の約1週間前まで繰り返したが、事実は違っていた。実際にはプーチン大統領は、2021年10月にすでに最終決断していた。恐らく「最終決断はしていない」として、最後までプーチン大統領の翻意に期待をかけたとみられる。

 プーチン政権に対して圧力をかけ、可能なら計画中止に追い込みたいと考えたのだろう。同時に西側の結束強化の狙いがあった。前者の達成は無理だったが、後者は成果があった。

バレても計画変更しなかったナゾ

 バイデン大統領は11月2日、バーンズCIA長官をモスクワに派遣して、プーチン大統領と接触させた。プーチン大統領は南部のソチで静養中で、バーンズ長官との電話会談となった。

「米国はあなたが何をしようとしているか知っている。ウクライナを侵攻すれば莫大な代償を課せられる」と警告し、バイデン大統領からの親書を預けると伝えた。プーチン大統領は冷静な様子で、ロシアのウクライナ侵攻を示すインテリジェンスを否定しなかったという。

 バーンズ長官がその際に会ったニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、長官来訪の目的は米露首脳会談準備のためだと想定していたが、長官がウクライナ侵攻を警告したことに驚いたという。

『ニューヨーク・タイムズ』によると、バーンズ長官は帰国後バイデン大統領に報告し、プーチン大統領はウクライナ占領をほとんど決断したと伝えた。ロシア側はすばやい勝利を絶対的に確信しているとも報告した。プーチン大統領は長官に対してもウクライナを侮るような口ぶりだったようだ。

 バーンズ訪露で、ウクライナ侵攻計画が米国に知られたことをプーチン大統領以下の高官らは認識した。通常なら、計画の練り直しや延期といった方策を検討すべきだが、そんな事実は伝えられていない。その理由は一体なぜか、ナゾのままだ。

「乱」の探知も米情報機関が先

「プリゴジンの乱」でも、ロシア情報機関が責任を果たしていないことを露呈した。

 事の起こりは6月10日、ロシア国防省がすべての志願兵に対して、月末までに同省との契約に署名するよう求めたことがきっかけだ。これでプリゴジン氏が率いる民間軍事会社「ワグネル」の部隊は国防省の指揮下に入ることになる。独自の戦闘作戦を展開してきたワグネルは強く反発した。

 それから数日後の6月中旬、「複数の米情報機関」はプリゴジン氏がロシア国防当局に対して「軍事行動を計画」とするインテリジェンスを得た、と『ワシントン・ポスト』は報じている。ウクライナ軍部も、同氏は「モスクワに向け部隊を動員する」と確信した。

 プーチン大統領がその動きをいつ知ったのか、明らかではない。通常、治安機関でもあるFSBが早期に探知して大統領に報告しなければならないはずだ。

 米情報機関が懸念したのは、プーチン政権の行方と核兵器の安全管理の問題だった。ワグネル部隊が占拠したロシア南部軍管区本部のあるロストフナドヌとモスクワの間のボロネジの近くには、核兵器の貯蔵庫がある。

 バーンズCIA長官は事後にロシア対外情報局(SVR)のセルゲイ・ナルイシキン長官に電話、この「乱」に米国は関与していないと言明し、余裕のあるところを見せた。

元外交官でCIAをリスペクト

 バイデン米政権の外交安保チームでは今や、バーンズCIA長官がキーマンのようだ。

 バーンズ長官はヨルダン大使やロシア大使、国務副長官など32年余りの外交官経験を経て、バイデン政権発足とともにCIA長官に指名され、発声投票(voice vote)による全会一致で承認された。米外交官の多くはCIA嫌いが多い。しかし彼は外交官の仕事でCIA担当者らと難しい仕事をした経験があり、「彼らに多大のリスペクトを抱いている」と広言する。

 CIA長官就任から約半年後に、米軍はアフガニスタンから撤退した。米国市民やアフガニスタン人協力者の空輸出国期限まであと8日となった2021年8月23日、バーンズ長官は突然、首都カブールを訪問、「タリバン」の暫定指導者アブドル・ガニ・バラダル氏と会談した。会談内容は明らかにされていないが、なお危険なカブールに入って、希望者全員の出国を実現しようとしたとみられ、その行動が高く評価された。

 彼はロシア語を話し、プーチン大統領に詳しく、「プーチノロジスト」と呼ばれたりするほど信頼されている。2022年7月の「アスペン安保フォーラム」での講演で、プーチン大統領の健康問題について聞かれ、「公式のインテリジェンスの結論ではないが、あまりにも健康」と発言、それ以後この問題はあまり議論されなくなった。

 長官のカウンターパートであるSVRのナルイシキン長官とは2022年11月トルコの首都アンカラで会談。ウクライナでの核兵器使用問題で、双方は核兵器の使用あるいは核の脅しに反対の立場を示したという。

 バーンズ長官は国務長官や大統領の「露払い」のような役割もしているようだ。2022年4月にはサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子と会談、同年7月のバイデン大統領の訪問につないだ。また、5月には訪中し、6月のブリンケン国務長官の訪中を実現させた。

ダブルダウンで局面転換を狙う

 また、6月にはウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領らと会談した。その際、ウクライナ軍の担当者から「秋までに相当の領土を奪還し、クリミア半島の境界近くにミサイルを移動させ、年末までにロシアとの停戦交渉を行いたい」との発言を引き出した。

 援助疲れが顕在化する欧米諸国が聞きたい情報を、CIA長官がスポークスマンのような形で伝えたことになる。

 最も深刻な問題は戦争がいつ終わるかだ。

 バーンズ長官は『フィナンシャル・タイムズ』との会見で、プーチン大統領がウクライナを侵攻した理由について「彼の立場では、従順なウクライナがなければロシアは大国ではあり得ないからだ」と言う。

 戦況は厳しいが「プーチン大統領は、『ダブルダウン』で前進を可能にすると確信していると思う」と語った。ダブルダウンとは、ギャンブルで負ける度に賭け金を2倍ずつ増やし続けるような勝負の仕方をいう。終わりのない賭けで死者を増やし続けるのだろうか。その選択に「核兵器」が含まれないことを願う。

 

カテゴリ: 軍事・防衛 政治
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執筆者プロフィール
春名幹男(はるなみきお) 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。
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