ロシア軍の捕虜になったチェルノブイリ原発の警備隊員のうち、オレクシー・ルトチェンコ(47)やアンドリー・グリシェンコ(28)は、苦難の末とはいえ、無事帰国することができた。ただ、それは全169人のうちの93人に過ぎない。2024年9月現在、残る76人は依然としてロシアで捕虜として拘束されたままである。
彼らが暮らしていたウクライナ北部の街スラヴチチでは、家族たちが帰還を待ちわびていた。
廃炉の城下町
ベラルーシとの国境近く、人口約2万4000人のスラヴチチは、様々な面で周辺の町村とは異なっている。
ウクライナ北部の中心都市チェルニヒウから西に約40キロにあたり、周囲には森と豊かな農地が広がる。しかし、周囲に点在する集落がチェルニヒウ州に属するのに対し、スラヴチチだけは、2020年までどこの州にも属さない特別市であり、現在はキーウ州の行政区域に属する飛び地となった。特別扱いされるのは、チェルノブイリ原発の事故処理とその後の管理を担う原発勤務者の街であるからに他ならない。
1986年の事故前、原発に勤務する技術者や科学者らとその家族は、原発の北西2キロあまりに建設された原発城下町プリピャチに住んでいた。事故による放射能汚染でプリピャチが破棄されたため、その住民の住まいとして新たにスラヴチチが建設されたのである。それまで原発の運転維持にかかわっていたプリピャチの住民たちは、事故原発の管理と廃炉を担うスラヴチチの住民となったのだった。つまり、ここはいわば「廃炉の城下町」である。
この街に住むのは、ソ連各地から集まった原子力工学や放射線科学などのエリート専門家たちとその後継者らである。若々しいインテリ揃いで、所得も高い。これに見合うよう、都市自体も高級感を持つよう計画された。ソ連の街としては新しいこともあって、建物の傷みがあまり目立たず、整備の行き届いた広い公園を備えている。欧米の学園都市に似た雰囲気である。
筆者は2012年1月にこの街を訪れ、福島第一原発の廃炉にかかわるインタビューをした。ただ、その時は真冬だったため、街は雪に閉ざされており、ウクライナの他の街との違いはあまり認識できなかった。今回、当地では初秋にあたる9月に訪ねたため、緑の豊かさが印象に残った。
この街の中心部にある「スラヴチチ地域史・チェルノブイリ原発博物館」の館長クリスティーナ・ベリチェンコ(35)の紹介で、捕虜となった夫や息子の帰還を待ちわびる女性4人と、最近家族が解放された女性1人に、近くの会議室に来てもらった。
プロパガンダ動画に夫の姿
原発の警備隊員だった169人の捕虜は、2022年3月31日にベラルーシのナロウリャに連れていかれ、3日後にロシアに移送された。ここまでは全員一緒だが、その後はばらばらになったようである。
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