突然の南北「通信連絡線」復元と水面下で進んだ「親書外交」 北朝鮮の狙いは何か

こんな光景をもう1度目にすることはあるのか(写真は2018年4月、板門店での金正恩党総書記=左=と文在寅大統領=右=)(C)EPA=時事
日米韓に楔を打ちたい北朝鮮は、来年3月に控える韓国大統領選での保守勝利を望まない。悪化しすぎた南北関係に一定の軌道修正を加えることで、外交のフリーハンドを確保しておく思惑も。

 韓国と北朝鮮の両当局は、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦協定が締結されて68年目の7月27日午前11時、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の間で複数回の親書の往来があり、(1)南北間の信頼回復(2)和解の促進(3)関係改善で合意した――とほぼ同時に発表した。この合意に基づき、昨年6月から断絶していた南北間の通信連絡線を、7月27日午前10時から復元した。

 韓国側は青瓦台(韓国大統領府)の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疎通首席秘書官が午前11時から緊急会見をしてこれを明らかにし、北朝鮮側は『朝鮮中央通信』の「報道」という形で発表した。

 北朝鮮は昨年6月9日、韓国の脱北者団体が北朝鮮批判のビラを飛ばしたことを理由に、一方的に南北間の通信連絡線を切断した。今回の合意で、板門店の通信連絡線と軍部間の西海通信連絡線が413日ぶりに復元することとなった。

 南北関係は、2018年2月の平昌冬季五輪に北朝鮮が参加したことをきっかけに大きく動き出し、同年4月の板門店での南北首脳会談同年9月の平壌での南北首脳会談へと発展した。

 しかし、2019年2月のハノイでの米朝首脳会談が決裂すると、急速に冷却化した。北朝鮮は、昨年6月に南北間の通信連絡線を切断した1週間後の同16日、開城にあった南北共同連絡事務所を爆破9月25日には、北朝鮮に近い黄海で行方不明になっていた韓国人男性を射殺する事件が発生するなど悪化の一途をたどった。

 文在寅大統領が今年3月26日、北朝鮮のミサイル発射について、

「対話の雰囲気に困難を与えることは決して望ましくない」

 と発言すると、金党総書記の妹の金与正(キム・ヨジョン)党副部長は同30日に談話を発表。大統領の名指しは避けながらも、「南朝鮮の執権者」に対して「鉄面皮の極み」、「米国産のオウム」と非難した。

板門店会談3周年の日に最初の親書

 しかし、南北関係の改善にこだわる文大統領は、板門店での南北首脳会談3周年の今年4月27日、最初の親書を金党総書記に送った。しばらくはなしのつぶてだったが、5月21日にワシントンで行われた米韓首脳会談の前に、返書の形で最初の親書が韓国側に伝達された。

 その後、水面下の「親書外交」は軌道に乗り、親書の往来は10回以上だったという。この「親書外交」を支える実務協議が韓国の情報機関、国家情報院と北朝鮮の党統一戦線部の間で秘密裏に行われた。

 公にされてはいないが国家情報院と党統一戦線部の間には秘密の通信連絡線があり、こちらはこれまでも切断されたことはない「最後の連絡ルート」であった。このルートを使って、親書往来や実務協議が行われたようだ。

 韓国の朴智元(パク・チウォン)国家情報院長は6月9日の国会情報委員会で、

「南北間で、最近、意味のあるコミュニケーションがあった」

 と述べた。このあたりから、南北間の水面下の協議が前向きに動き出したとみられる。

 韓国は米韓首脳会談で、米国が南北対話を支持することを求め、今後の米朝交渉をシンガポール合意だけでなく、板門店合意も踏まえて行う、というジョー・バイデン米大統領の発言を得ることに成功した。韓国側はこれが、6月17日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第8期第3回全員会議(総会)3日目に行われた第5議題の「国際情勢の分析と対応」の中で、金党総書記が、

「朝鮮半島の情勢を安定的に管理していくことに力を注がなければならない」

 と発言したことに結びついたのではないか、と見ている。

 この「親書外交」については、米国側にも詳しく説明したという。特に、米国のソン・キム北朝鮮担当特別代表が6月19日から23日に訪韓したのは、この間の水面下の交渉を米側に説明することが大きな目的だったとみられる。韓国としては、この水面下の「親書外交」を、なんとしても「米朝対話」に結びつけたいと考えていたからだ。

現実は「連絡ルート」が復元しただけ

『ロイター』は7月28日、韓国政府消息筋の話として、韓国と北朝鮮が南北首脳会談の開催を議論している、と報じた。すると、青瓦台の朴炅美(パク・ギョンミ)報道官はすぐに、

「すでに発表したように、首脳会談開催を議論したことはない」

 と強く否定した。

 文大統領が来年5月までの任期10カ月の間に、テレビ会議形式ででも4回目の首脳会談を行って、南北関係の発展という「レガシー」を残したいという“願望”を抱いていることは間違いない。

 しかし現実は、昨年6月に北朝鮮が一方的に切った南北の通信連絡線が復元しただけである。

 南北首脳はこの「親書外交」で、既述のように3つの点で原則合意はした。だが韓国政府は、具体的な進展は今後の推移次第だということをよく知っている。外国メディアに“願望”をリークして、南北間で首脳会談協議が進んでいるかのようにミスリードすれば、この3カ月間の水面下の「親書外交」が何の成果もなく崩れ去ってしまう。だから『ロイター』報道を強く否定したわけだ。

 北朝鮮側は今回のニュースを『朝鮮中央通信』が報じただけで、住民が知り得る『労働新聞』や『朝鮮中央テレビ』などのメディアでは取り上げていない。これは、今後の韓国側の出方次第ではいつでも方針転換できるというシグナルのようにも見える。

米韓合同軍事演習は中止か大幅縮小?

 当面の課題は、8月に行われる予定の米韓合同軍事演習だ。北朝鮮の金与正党副部長は3月15日付の談話で、米韓合同軍事演習について、

「われわれは今まで、同族を狙った合同軍事演習自体に反対したのであって、演習の規模や形式について論じた時はたった一度もない」

「悪性伝染病のためにみすぼらしくも演習の規模が縮まってそれに50人が参加しようと、100人が参加しようと、そしてその形式があれこれと変異しようと、同族を狙った侵略戦争演習であるという本質と性格は変わらないからだ」

 と述べ、規模縮小ではなく演習そのものの中止を求めた。

 韓国でも新型コロナウイルスの感染拡大が続き、7月28日には1日の新規感染者数が1896人と史上最多を記録した。感染力が強い変異株「デルタ株」の拡大に加え、人の移動が増える夏休みシーズンを迎え、感染者がさらに増える可能性は高い。

 さらに韓国軍では、アフリカ東部ソマリア沖に派遣していた韓国海軍「清海部隊」で乗組員の大半の270人以上が感染したこともあり、軍内のコロナ防疫強化が求められている。

 米国はまだ、米韓合同軍事演習を実施する姿勢を崩していないが、こうしたコロナの感染状況に加え、通信連絡線の復元でようやく南北関係が改善に向けて動き始める兆しを見せているだけに、8月の米韓合同軍事演習は中止か、大幅な規模縮小の可能性が強まった。

なぜ北朝鮮は方針転換をしたのか?

 韓国の野党など保守勢力からは、開城の南北共同管理事務所の爆破や、韓国公務員の射殺への明確な謝罪なしに、南北関係改善に動くことに強い批判がある。すでに次期大統領選挙に向けた各候補の激しい前哨戦が展開されており、韓国政府の対応次第では保守側が北朝鮮問題で批判を強めるだろう。

 しかし、金与正党副部長の談話にあるように、文大統領や韓国政府をこれまで口汚く批判していた北朝鮮が、なぜこの時点で通信連絡線を復元し、南北関係改善の方向に舵を切ったのだろうか。それは、北朝鮮を取り巻く様々な要因を踏まえた上での、金党総書記の判断とみられる。

 理由の第1は、韓国の大統領選挙だ。与党の「共に民主党」は公認候補の選出を9月上旬から10月上旬に遅らせ、出馬を表明した6人の候補が公開討論会を開くなど激しく競い合っている。現時点では、トップを走る李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事の支持率がやや落ち、李洛淵(イ・ナギョン)元首相がやや支持率を回復してこれを追っている。

 一方、保守側は依然として尹錫悦(ユン・ソクヨル)前検事総長がトップだが、義母が詐欺で有罪判決を受けて収監されたり、司法以外の問題でのビジョン提示が弱く、支持率を少しずつ落としている。

 そんな中、この7月に最大野党「国民の党」に入党した崔在亨(チェ・ジェヒョン)前監査院長が、少しずつ支持率を上げている。韓国メディアは、尹錫悦氏も8月には入党する可能性が高いとするが、まだ不透明だ。

 韓国の大統領選挙の行方はまだ見通しがきかず、混沌とした情勢だ。北朝鮮はハノイの米朝首脳会談以降は文在寅政権を叩いてきたが、来年5月に保守政権が誕生することは阻止しなくてはならない。同盟関係を重視するバイデン政権は日米韓連携による北朝鮮政策を訴えている。日米韓の固い連携が生まれれば、北朝鮮への圧迫が強まることは確実だ。北朝鮮にとっては生存空間を広げる意味で、韓国で左派政権が続き、日米韓の強力な連携に楔を打ち込む構造が必要だ。

 筆者はこうした理由から、大統領選前に北朝鮮が南北関係を戦術的に改善すると見ていたが、考えていたよりは少し早かった。

高温と干ばつで深刻な食糧事情

 金党総書記は、7月27日に平壌で行われた第7回全国老兵大会(朝鮮戦争に参戦した元兵士を集めた大会)で演説し、

「今日、われわれにとって未曾有の世界的な保健医療危機と長期的な封鎖による困難と隘路は、戦争状況に劣らない試練の峠になっています」

 と語り、新型コロナ・経済制裁との闘いは「戦争状態に劣らない試練」だと訴えた。

 北朝鮮は6月の党中央委員会第8期第3回総会で、北朝鮮が「食糧危機」の状況にあると認め。金正恩党総書記自身も「食糧状況が緊張(切迫)している」と述べた。

 昨年は台風や豪雨で大きな被害を出したが、今年は高温と干ばつに悩まされており、農業への打撃が憂慮されている。『朝鮮中央通信』は7月26日、7月中旬までの降水量が全国平均で21.2ミリしかなく、例年の約4分の1程度で、1981年以降2番目に少なかった、と報じた。最近は各地で35度以上の高温を記録している。

 穀倉地帯の黄海南道では数千ヘクタールの水田やトウモロコシ畑が干ばつに見舞われ、北部の咸鏡北道でもトウモロコシや大豆畑の被害が拡大しているという。

 こうした状況下での韓国への方針転換は、コロナワクチンや防疫資材、あるいは食糧支援を求める布石ではないかという見方もある。しかし、北朝鮮は経済制裁との長期戦を覚悟し、人民に「自力更生」を求めるキャンペーンを続けており、韓国を含めた国際社会からの支援を拒否している状況だ。

 韓国からの人道支援を受け入れることはそう簡単ではないとみられる。

対米交渉への布石?

 また昨年の老兵大会では、北朝鮮は「核保有国として世界が認めざるを得ない戦略的地位」に就いたと強調しながら「わが国家の安全と未来は永遠かつ堅固に保証される」と述べたが、今年は「核保有」に言及せず、

「わが革命武力はいかなる情勢や脅威にも対処できる万端の準備ができている」

 と言うに留めた。

 これは、当分の間北朝鮮は経済建設に集中し、ミサイル発射などの軍事挑発は控えるという姿勢だ、との見方が出ている。

 韓国では、北朝鮮が南北関係の改善に動き出したのは、やはり韓国政府の支援なしに米朝対話を自らが求める方向に持ち込むのは困難で、韓国を巻き込んでの対米戦略を考え始めたのでは、という希望的な見方もある。

 しかし、北朝鮮はすでにドナルド・トランプ政権時代に米国との直接対話のチャンネルを築いており、韓国にわざわざ仲介を依頼する状況ではないように見える。もちろん、米国に北朝鮮の要求を考慮した交渉をするよう、韓国側が働き掛けることは期待しているであろう。

 筆者は、そうした複合的な状況の中で、北朝鮮が自身の状況に応じた対応が取れるように南北関係を元に戻したのではないか、と考える。 いかなる選択も可能なフリーハンドの立場を取るためには、現在の南北関係は悪化しすぎており、少し元に戻すことで韓国側の出方を見ようということではないだろうか。

 

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
平井久志(ひらいひさし) ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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