アフガン情勢判断ミスで、メルケル政権が窮地に

ドイツ軍用機でアフガニスタンから脱出した人々(ウズベキスタン・タシケント) ©AFP=時事
状況悪化が伝えられながら、メルケル政権はカブール陥落を「早くても9月末」と予想した。現地に取り残されたアフガン人協力者と家族は約1万人。今後は経済援助の凍結解除を交渉材料に使いつつ、民間航空機を使った退避活動を進めるが、まだ具体的な見通しは立っていない。

 ドイツ連邦軍は8月27日、アフガニスタンから5347人の民間人を国外退避させて11日間にわたる空輸作戦を終了したが、メルケル政権が情勢判断を誤り、退避の開始が遅れたことについて、厳しい批判の声が上がっている。

特殊部隊KSKと空挺部隊を派遣

 ドイツ国防省の発表によると、連邦軍は8月16日から6機のA400M型輸送機を投入し、カブール空港とウズベキスタンの首都のタシケント空港の間でピストン空輸を実施。8月27日までに、5347人を救出した。その中には現地で働いていたドイツ人医師や援助団体のメンバー、ジャーナリストだけではなく、過去にドイツ連邦軍やメディアで働いていたアフガン人の現地職員や協力者、その家族634人も含まれていた。連邦軍がタシケントに輸送した市民の国籍は、45カ国にのぼる。つまり連邦軍は、カブールの混乱した状況の中、退避者の国籍や最終的な行き先を問わず、空港で輸送機に乗せてタシケントへ脱出させたのだ。

 国防省は今回の作戦を「連邦軍創設以来、最も危険な任務」と呼んだ。このため連邦軍で対テロ作戦や人質救出を担当する特殊部隊KSKと、空挺部隊の約600人の戦闘部隊を現地に送った。

 またタリバンがカブール空港に通じる道路に検問所を作って、アフガン人の通行を制限していたことから、連邦軍は現地に小型のヘリコプター2機を送った。空港にたどりつけない民間人をカブール市内の集合地点から、空港へ移送するためだ。その際には米軍と共同で空港へのヘリ移送を実施することもあった。

 この救出作戦がいかに大きな危険を伴っていたかは、8月26日の惨事が明白に示している。この日カブール空港周辺で、テロ組織ISIL-K(「イスラム国ホラサン州」)によると見られる自爆攻撃のために、米兵13人の他、タリバンの戦闘員、アフガン市民を含む180人以上が死亡した。ISIL-Kは、米軍ともタリバンとも敵対している。

 ちなみに米軍は、約2週間で10万9000人の民間人をカブールから脱出させた(この数には米国人だけではなくアフガン人協力者とその家族、その他の国の市民も含まれている)。最も多い時には、45分に1機の割合で輸送機が離陸した。1948年にソ連がベルリンを封鎖した時に、米軍が補給物資を輸送機で送ることで同市の生命線を支えた「ベルリン空輸」を想起させる。

 米国だけではなく、欧州諸国も多数の民間人を退避させることができた理由の一つは、米国が空港を守るために、第82空挺師団などの完全武装の戦闘部隊約6000人をカブールに派遣したからだ。軍事関係者がrobustつまり「重武装で強固な」と形容する戦闘部隊を派遣しない限り、実行が難しい任務だった。米軍は、空港がタリバンの戦闘員の攻撃を受け、数時間にわたって外部からの支援なしに持ちこたえなくてはならないという最悪の事態も想定していたはずだ。米軍の強力な援護なしには、各国の救出作戦は不可能だった。その意味でドイツを始めとする同盟諸国は、今も米軍に大きく依存しているのだ。

8月中旬まで遅れた初動

 8月15日にタリバンがカブールを電撃的に制圧したことは、ドイツ連邦政府にとっても寝耳に水だった。最大の焦点は、ドイツに協力したために生命の危険に曝されるアフガン人たちの運命だ。

 ドイツは2001年にアルカイダによるテロ攻撃を受けた同盟国・米国を支援するために、同年以降、国際治安支援部隊(ISAF)に参加した。国連安全保障理事会の決議によって創設されたISAFは、北大西洋条約機構(NATO)が指揮し、2012年2月の時点では46カ国から約13万人の将兵が参加していた。

 ドイツは2001年から約5000人の戦闘部隊をアフガニスタンに駐留させた。20年間に同国で任務に就いたドイツ人の総数は、延べ15万人にのぼる。同国はアフガニスタン派兵で、第二次世界大戦以降初めての本格的な地上戦闘を経験した。タリバンとの戦いではドイツ連邦軍の兵士59人が戦死している。

 つまりドイツはタリバンにとって「敵国」である。ドイツ連邦軍や連邦情報局(BND)、大使館、援助機関、現地語で放送を行う国営放送局ドイッチェ・ヴェレなどのために通訳、情報提供者などとして働いたアフガン人は、タリバンから「裏切者」と見なされて将来逮捕されたり処刑されたりする危険がある。

 米国のジョー・バイデン大統領は今年4月に、「9月には米軍をアフガニスタンから撤退させる」という方針を明らかにしていた。

 だがメルケル政権は、諜報機関などの情報に基づいて、カブールが陥落するのは早くても9月末と予想していた。このためドイツ政府は民間人の退避計画を8月上旬まで本格的に練っていなかった。ドイツ連邦軍や援助団体のために働いていたアフガン人協力者とその家族約1万人についても、ビザの発給などが遅れていた。その背景には、外国語を話し、技能を持つアフガン人が雪崩を打って出国するのを防ぎたいという、当時のガニ政権の意向もあった。

 ただしカブールのドイツ大使館は、ベルリンの外務省に対して7月末頃から、現地の状況が急速に悪化していることを報告していた。当時アフガニスタンでは多くの地方都市が、次々にタリバンの手中に落ちていた。

 同大使館のヘンリク・ヴァン・ティール副大使は、8月13日付の報告書の中で「我々は数週間前から、本省に対して直ちに行動を取るように要請していたが、ようやく今週になって救出計画が本格的に検討され始めた」と記している。つまりメルケル政権は、8月中旬までアフガン人協力者と家族らの退避に本腰を入れていなかった。ドイツのメディアからは、「外務省や国防省が、現地の状況が切迫していることを正確に把握しなかったために、初動が遅れたのではないか」という見方が出ている。

判断ミスを認めたメルケル首相

 カブール陥落後、ドイツの政治家たちはミスを率直に認めた。アンゲラ・メルケル首相は8月26日に連邦議会での演説で「我々はアフガン情勢について楽観的であり過ぎた。アフガン政府軍が、タリバンに対する抵抗をこれほど簡単にやめるとは思わなかった」と述べ、判断が誤っていたことを認めた。

 また8月16日、ハイコ・マース外務大臣も「弁解の余地は全くない。我々の状況判断は完全に間違っていた。ドイツ連邦政府、同盟国、諜報機関はこのような状況を想定していなかった。タリバンがこれほど速くカブールを手中に収めるとは、考えていなかった。我々はアフガニスタン政府軍がタリバンと戦うと思っていたが、それは完全な見込み違いだった」と述べている。

 アンネグレート・クランプカレンバウアー国防大臣も「我々の状況判断は正しくなかった。アフガン政府軍が首都を防衛すると考えたのも、我々の思い込みに過ぎなかった。救出作戦が一段落したら、私が責任をきちんと果たすことができたかどうかについて分析する。その上で、進退についてはけじめをつける。私は自分の首を差し出すつもりだ」と述べ、辞任の可能性を示唆した。通常は、様々な理由を並べて他人の批判をかわそうとする.ドイツ人の政治家たちが、これほど率直に自分のミスを認めるのは、珍しい。

「独への出国希望者約5万人が取り残された」という見方も

 アフガニスタンで戦った経験を持つドイツの退役軍人らが組織する「アフガン協力者支援ネットワーク」のマルクス・グロティアン代表は、8月24日の記者会見で、メルケル政権の態度を批判した。

 彼は「約1万人のアフガン人協力者と家族の内、カブール陥落前の時期も含めて、ドイツに出国できたのは約2000人にすぎない。それは、ドイツ政府が退避させるアフガン人現地協力者を厳しく選別していたからだ。英国やフランスはそのような選別を行わずに協力者を国外に退避させている。ドイツに協力したアフガン人の中には、空港にたどり着いても、『リストに載っていない』という理由で追い返された人もいる。ドイツ政府は、受け入れるアフガン人の数を低く抑えようとしているのではないか」と指摘した。

 カブールおよびベルリンの中央省庁の状況はまだ混乱しており、ドイツへの出国を希望しているアフガン市民の数についても、いくつかの説がある。たとえばドイツ公共放送連盟(ARD)は、8月30日付のウエブサイトで、外務省のクリストファー・バーガー広報官の「弁護士やジャーナリスト、人権活動家などタリバンに批判的なアフガン市民とその家族も含めると、ドイツへの出国を希望している市民の数は5万人にのぼる」というコメントを引用している。

  メルケル政権は、軍による民間人の救出作戦は8月27日で終えたが、今後は民間機の離着陸が許可され次第、アフガン人協力者の退避作業を続けると述べている。カブールのドイツ大使館のマルクス・ポッツェル大使は、8月24日にタリバンのドーハ政治事務所のシェール・モハンマド・アッバス・スタネクザイ・パードシャー・カーン副代表とカタールで会談した。スタネクザイ副代表はこの際に、「外国軍は8月31日までにアフガニスタンから撤退させるが、その後民間航空機の発着を再開させる。しかるべき書類を持っているアフガン人は、8月31日以降も出国できる」とポッツェル大使に伝えた。

 だが米軍の撤退後にタリバンが本当にアフガン人の出国を許すかどうかは、未知数だ。カブールに残っている協力者とその家族の間で不安が高まるのも無理はない。

 ドイツ連邦軍のために、18年間にわたって通訳として働いたあるアフガン人は、ドイツに亡命するためにビザの発給を申請していたが、大使館からは連絡がなかった。ガニ政権崩壊後、彼は家族とともに自宅を離れてカブール市内に潜伏。タリバンに逮捕されるのを避けるために、外出せずに家の中に籠っている。彼は独仏共同の公共放送局ARTEの記者にメールで送った動画の中で、「メルケル首相、私と家族を助けて下さい。私はドイツを助けたために、タリバンに命を狙われています。私や家族が殺されたら、ドイツ政府の責任です」と涙ながらに嘆願した。

野党はメルケル首相や外相らの辞任を要求

 野党からはメルケル政権に対して批判の声が強まっている。緑の党のロベルト・ハベック共同党首は「なぜこのような事態になったのか、徹底的に究明する必要がある。責任はメルケル首相、オラフ・ショルツ副首相、マース外相、クランプカレンバウアー国防相にある」と指摘。

 また左翼党のディートマー・バルチュ連邦議会議員団の院内総務は、「我が党と緑の党は、今年6月23日に、アフガン人の協力者と家族を、複雑な手続きなしに退避させ、ドイツに受け入れるよう政府に対して要求した。だが連邦議会での議決で、連立政権を構成するキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)はこの提案を拒否した。今考えると、この否決は近視眼的であり、冷酷であり、無責任だった。メルケル首相、あなたは当時なぜ連立与党を説得して、アフガン人協力者を積極的に助けようとしなかったのか?」と問い質した。

 同党のグレゴール・ギジ議員も「政府は、今年4月にはカブール大使館員と連邦軍の協力者たちをドイツに退避させるべきだった。大変な失策だ」と批判。

 自由民主党(FDP)のヴォルフガング・クビツキ副党首は、「メルケル首相、マース外相、クランプカレンバウアー国防相は外交政策における、ドイツ建国以来最大の失敗を犯した。これらの人々は、責任を取って辞任するべきだ」と述べ、3氏の退陣を要求した。

 マース外相は8月12日に、「タリバンがアフガニスタンを占領し、イスラム法(シャリア)に基づく神権国家の創設を目指す場合、我々は経済援助を停止する」と述べている。アフガニスタンの一部の地方では干ばつによる不作などのために、食糧難が起きている。国連世界食糧計画(WFP)によると、「同国では国民の3分の1が飢えており、約200万人の子どもが栄養不足に苦しんでいる」として、援助の重要性を訴えている。今後タリバンと他の勢力の間で内戦のような事態が起きた場合、同国の経済混乱と食糧不足はさらに深刻化する恐れがある。

 今後ドイツ政府は、経済援助の凍結解除をちらつかせながら、アフガン人協力者と家族の出国を許可させるために、タリバンと交渉するだろう。しかしタリバンは一枚岩の組織ではない。権力闘争の結果、万一保守派が舵を握った場合、アフガン人協力者たちの出国を阻む事態も想定される。9月26日のドイツ連邦議会選挙後に発足する新政権にとっても、ドイツを助けた協力者たちとその家族、ジャーナリストや市民運動家たちの救出は、重要な課題であり続ける。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
熊谷徹 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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